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1-2

 ボウヤー家の三男坊がオルブライト家の扉を叩いたのは、それから間もなくのことだった。


 猛獣使いの名家としてオルブライト家と並び称されるボウヤー家は、オルブライト家よりも猛獣使いとしての歴史が長く、深い伝統を持つ一族だ。その長い歴史の中でも数々の英雄を生み、その幾人かは、この国で伝説として語られているほどだった。


 それなのに――、とナタリアはいつも思うのだった。


 幼子のようにさらさらの明るい栗色の髪や女子と間違えられてもおかしくない上品な顔立ちはボウヤー家の三兄弟共通だというのに、この三男坊は幼少の頃から精神的な意味でも身長的な意味でも成長したという印象がない。


「僕が来てやったぞ!」


と言わんばかりに開かれた扉の前で仁王立ちしている三男坊を見ながら、ナタリアは思わずため息をついた。


「僕が来て……ん? どうした、ナタリア?」


「……なんでも。あなたの考えていることが手に取るようにわかったというだけのことよ」


 呆れた声で答えるナタリアを見て、扉の前の少年はなぜか嬉しそうに頬を染めながら胸を張った。


「そうかそうか! 以心伝心というやつだな!」


「はいはい、違うから違うから」


 慣れた様子で軽くあしらいながら、ナタリアはボウヤー家の三男と、その後ろに控えていた長身の青年を応接間へ通す。青年はいつものようにナタリアに向かって恭しく頭を下げた。


「おはようございます、ナタリア様。朝早くから押しかけてしまい申し訳ございません」


「いいのよ、テス。面倒な主人を持ってあなたも大変ね」


 テスと呼ばれた青年は、切れ長の目をいかにも愛想良さ気に細め、是とも否とも取れる微笑を浮かべてみせた。

 玄関のホールを過ぎたところでいつもより静かなことに気がついたのか、ボウヤー家の三男坊は何かを探すようにきょろきょろと辺りを見回した。


「静かだな……。変人の兄は留守なのか?」


 その問いを受けて、ナタリアの心臓がどきりと跳ね上がる。

 兄が家出したことを、いつまでも隠しておくことは出来ないだろう。国王に仕えている以上、オルブライト家には猛獣使いとしての勤めを果たす義務と責任がある。しかし兄がいない今、その勤めを果たすことが出来る人間はこの家にいなかった。その事実を、どうやって国王に伝えたらいいのか……。考えただけで、ナタリアの胃はきりきりと嫌な痛みを放った。


「それなんだけど……おじ様は今夜お手隙かしら? 兄さんのことで相談したいことがあるの」


 しかしボウヤー家の三男坊は無情にも首を振った。


「父上なら兄上たちと一緒に自分の隊を連れて国境に魔獣退治に向かったから、しばらくは戻らないぞ。僕がここに来たのもそれ絡みで……おい?」


 露骨にがっかりしたナタリアの顔を、訝しげに覗き込む。


「……なんでもないわ。それよりあなたの用事は何、ママデューク?」


「それが……――というか、おい! 僕のことをその名で呼ぶなと何度言ったらわかるんだ!」


 身を乗り出して怒る少年をうざったそうに手で制しながらナタリアが答える。


「だって……あなた、この間自分で言ってたじゃない。十六にもなって男性をニックネームで呼ぶなんて子供じみてるって」


「あ、あれは……っ! お、お前がセオドアのやつのことをいつまでもテディなんて親しげに呼んでるから……!」


「ママデュークをデュークって呼ぶのだって同じことじゃない」


「僕はいいんだ……っ!」


「何なのよその理屈……」


 するとそれまで黙っていた長身の青年が、嬉々として口を開いた。


「ナタリア様、『ママ』ではありません、『マーマ』デュークです。どうかお間違えなきよう」


 うんざり顔のナタリアと、明らかに楽しそうな様子のテスを、ボウヤー家の三男が怒りを堪えながら睨みつける。


「お前たち、僕を怒らせたいのか……?」


「もう怒ってるじゃないの、マーマデューク」


「――その名前で呼ぶな!!」


 噛み付かんばかりの勢いで声を荒げるボウヤー家の三男坊ことマーマデューク。その後ろで、テスが素晴らしい笑顔で再び口を挟んだ。


「ナタリア様、我が主はご自身のお名前に妙な偏見があるようでして。わたくしが推測するに、『ママ』と『ボウヤ』が同じ並びに入っているのがどうにもむずがゆいご様子」


 口調こそ丁寧だが、どう受け取っても馬鹿にしているようにしか聞こえないフォローをすると、テスはさも良いことを言ったという顔で満足そうに微笑んだ。どうやら、わざとやっているらしい。


「むずがゆいとは何だ! 違うぞ! 僕は単にこの名前が嫌いなだけだ!」


 ナタリアは呆れ果てた様子でため息をついた。このボウヤー家の三男の名前に関する一連のやり取りは、既に挨拶代わりのようなものだった。幼い頃から飽きるほど同じことを繰り返しているというのに、テスは、それが楽しくて仕方ないらしい。


 テスは人間ではない。何を隠そう、彼はデュークの使役獣なのである。本来の姿はホワイトタイガーであるが、猛獣使いの素質次第で獣は人型をとることもできるのだ。人の姿をしているときは、その白銀の髪と金色に輝く切れ長の瞳以外にはホワイトタイガーを感じさせるものはなく、黙っていればちょっと眼光の鋭い美青年にしか見えなかった。


「――わかったから、デューク。あなたの用事を早く教えて」


 デュークはまだ納得いかないという顔だったが、彼自身もこの話題を速やかに終わらせたいのは確かだった。仕方なく、小さく咳払いして気持ちを立て直してから話し出す。


「……さっきも言ったが、父上は遠征のためにしばらく帰って来られない。父上が戻るまでの間、城下に現れた魔獣の退治をオルブライト家の第七小隊に一任したいと――陛下がおっしゃっているそうだ」


 ナタリアの顔から、一気に血の気が引いた。


「陛下がおっしゃってるって――それ、本気?」


「もちろん本気だが。要するに、お前の変人兄に召集がかかったから、明日の朝一番に陛下のもとへ顔を出せということだ。まったく、さっき第七小隊の詰め所に顔を出したら、今日はサボりだというじゃないか。お前の兄の変人ぶりに関してはとっくに諦めているが、職務を――……」


 ふと、デュークの言葉が止まった。見れば、ナタリアが自分の腕を縋るように掴んでいる。


「ナタ、ナタ、ナタ、ナタリア――!?」


 デュークの狼狽振りにテスが思わず吹き出したが、そんなことは気にしていられない。ナタリアとは物心付く前からの付き合いだが、こんなふうに情熱的に(?)腕を掴まれたのは初めてだ。


 デュークはなるべく平静を装ってナタリアに言った。


「う、ううう腕を引っ張るなっ! 一体どうしたというんだ……!」


 上ずってしまった声にテスが笑いを堪えているが、もはやデュークの瞳には自分を見上げるナタリアの潤んだ瞳しか映っていなかった。


「ナ、ナタリア……お前……--」


 やっとそれだけ言うと、デュークはゴクリと唾を飲み込んだ。ナタリアの潤んだ瞳が、やけにキラキラと艶っぽく見える。

 次の瞬間ナタリアは、形良く膨らんだ愛らしい唇から、およそデュークの期待していたものとは程遠い言葉を吐き出した。


「どうしよう! 兄さん、家出しちゃったの……!」



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