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ナタリアたちが森のあちこちに開いた混沌の穴を閉じてまわり、そこから出現した魔獣たちを退治してやっと帰途に着いたのは、夜が明けてすっかり日が高くなってからだった。
ナタリアの両親は昨夜のうちに王都の医者の元へと運ばれていた。リュシアンは自分も一緒に行くと言って聞かなかったが、手ひどくナタリアに叱責されて、半分引き摺られるようにしながら森中に開けた混沌の穴を閉じて回った。穴を開けたのもリュシアンなら、それを閉じる術を知るのもまたリュシアンだけだったので自業自得と言わざるを得ない。
魔獣を退治するにあたっては、テスとラビが活躍してくれたおかげで相手をした魔獣の数の割には早く退治できたと言えた。
ラファエルはどうやら自分の意思で自在に亀の姿に変化することは出来ないらしく、もっぱら混沌の穴を閉じるリュシアンの作業の補助にまわっていた。
ナイトはというと、実体が『透けている』ために魔獣に触れることすら叶わなかった。
彼は十二年もの長い時間、混沌の闇からナタリアの両親を守る壁となって混沌にいた。しかも具現化した体のままで闇に浸かっていたために、その体は十二年の歳月をかけて少しずつ混沌に侵食されていたのだった。
「わかりやすく言うとだね、ナイトの体を構成していた要素が混沌の闇の中に溶け出し、消滅してしまったんだ。ナイトの言う『死んでいる』とはつまりそういうことだろう」
リュシアンはそう説明したが、ナタリアにはよくわからなかった。ナイトの体を構成する要素が消えてしまったというが、触れることは出来なくても、目の前のナイトには確かに体があった。
それに、あの時――ナタリアが混沌の中でナイトに再会したときは、確かにナイトの体に触れることが出来たのだ。
「そこのところは僕にもよくわからないけれど……多分、ナタリアの猛獣使いとしての力量が関係しているんじゃないかな」
リュシアンの説明はこうだった。使役獣の実体は、あくまでも主である猛獣使いが具現化したものだ。猛獣使いの素質によって獣の姿のままの使役獣もいれば、人型を取れるものもいる。そのいわば中間的な形態が、今のナイトの『視覚的には存在するが物理的には存在しない』というものではないかとリュシアンは持論を述べた。
「それってつまり、わたしの猛獣使いとしての素質が中途半端だってこと……?」
肩を落とすナタリアを、ナイトとラファエルが必死に慰める。
「決してそのようなことはございません! 姫様はわたくしにとって最高の主でございます!」
「その通りだ。ナタリアが中途半端なわけじゃなく、この黒山羊ヤローが中途半端ってだけだ。お前は何も悪くねえ」
「貴様にだけは言われたくない、この鈍亀が! だいたい貴様、デューク殿の亀の分際でどうして姫様の使役獣などというふざけたことになっているんだ」
「――え?」
ナイトの言葉に、皆が揃って驚きの声を上げる。一同に視線を向けられ、なぜ皆がそんなに驚いているのか理解できないナイトは困惑した。
「え? あの、わたくしは何かまずいことでも言ってしまったのでしょうか……?」
心配そうにナイトは主人を見下ろす。ナタリアは驚いた顔のまま、ぶんぶんと首をふった。
「違うの、そうじゃなくて――。ナイト、あなた今、なんて言ったの? ラファエルがデュークの亀って……」
「え? 違うのですか? ほら、姫様が気に入って、いつもデューク殿からお借りしてドレスのポケットに入れて連れ歩いていらっしゃった……。今は人の姿などとっていますが……正体はあの『亀吉』ですよね?」
「『かめきち』……?」
ぽかんと口を開けてしまうナタリアの横で、ラファエルが声を上げた。
「亀吉だと? 俺はそんなダセエ名前じゃ――いや待て。その名前、妙に親近感が……」
「あーーーーー!!!!」
突然大声を上げたナタリアを、耳を塞いだ格好のデュークが非難する。
「うるさいぞナタリア!」
「デュークったら、覚えてないの? ほら、亀吉よ! 子供の頃、あなたが飼っていた小さな亀!」
「さっきから何を言って――……ああ! 思い出したぞ! あの亀吉か!」
ラファエルは何か思い出せそうなのか、頭を抱えて必死に記憶の糸を手繰り寄せようとしていた。その様子を見ながら、ナタリアは大きく頷いて確信する。
「やっぱりわたし、ラファエルに会っていたんだわ!!」
それは、ナタリアとデュークがまだ四歳の頃。あの自演誘拐事件よりも少し前のことだ。
ナタリアはナイトを召喚したばかりで、デュークはまだテスを召喚していなかった。ナタリアが四歳にして使役獣を召喚したことは、まだ家族以外の人間には知らせていなかった。万が一国王に知れれば、その才能も含めてなおさらナタリアを嫁に欲するだろうと考えた親馬鹿気味な父の意向によるものだった。
当時はまだナタリアもデュークも使役獣の意味をよく理解していなかった。それでも幼いながらにナタリアが自分にだけ従う存在を持つことを羨んだデュークは、拙い対抗心で掌の上に乗る一匹の亀を見せるとナタリアに自慢してきた。
「良いだろう! 父上に買っていただいたんだ! とても珍しい亀なんだぞ! 特別に、お前にだけ見せてやってもいいぞ!」
デュークの手の上で、土色の甲羅を持った亀がゆっくりと首を伸ばす。小さな頭にはつぶらな目が黒く光り、小首を傾げるようにしてナタリアを見上げる様子はとても愛らしかった。
「わあー! 小さくてかわいいねえ。この子、なんてなまえなの?」
ナタリアが瞳を輝かせたのを見て、デュークも誇らしげに胸を張る。
「かめきちだ!」
「えー! そんなヘンななまえじゃかわいそうだよ! そうだ! わたしが素敵ななまえを考えてあげる! えーと……えーと……」
ナタリアは小さな眉間に皺を寄せながら、一生懸命に悩んでいる。やがてぱあっと嬉しそうな表情で顔を上げた。
「わかった! この子、とってもきれいな目をしているから『ラファエル』にしましょ! きのう母さまに読んでいただいたご本に出てきた天使さまが、この子にそっくりだったもの」
ナタリアは昨夜母親に読んでもらった本に出てきた天使を思い浮かべていた。絵本の挿絵には、金色の髪に漆黒の優しい目をした天使の姿が描かれていたのだ。
しかしデュークは、小さな岩の塊のような土気色の亀を見下ろし、不満げな声を出した。
「らふぁえる? そんな女みたいななまえ、全然かっこよくないぞ! ぜったいかめきちのほうが良いに決まっている!」
デュークにそう反論された途端、ナタリアの眉が八の字に下がる。さっきまで輝いていた瞳には大きな涙が浮かび、今にもこぼれ落ちそうだ。
「ぅえ……。デュークが、わたしのつけたなまえ、かっこよくないって言った……」
ナタリアは傍らで微笑ましく幼い二人を見守っていたナイトに抱きついた。ナイトは困ったような顔で、優しくナタリアの頭を撫でてやる。
「姫様、わたくしは姫様の考えたお名前も素晴らしいと思いますよ」
ナイトの腹部に顔をうずめてべそをかくナタリアを見て、デュークは慌てた。
「わ、わかった! わかったから泣くんじゃない! よくかんがえたら、らふぁえるというのもなんだかかっこいいなまえのような気がしてきたぞ!」
当時からナタリアには弱いデュークだった。しかし亀吉と名付けたのはデュークの父であったため、ナタリアの案はやむなく却下されたのだった。




