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「……――それから、父は家に戻るとすぐに、僕と母に上王陛下の横暴を話してくれた。当然、僕と母は憤ったとも! 可愛いナタリアを、あんなナンパ野郎の元に嫁がせるなど、言語道断、断固反対だ。そんなわけで、僕たちは上王陛下に何とかしてナタリアを諦めさせようと作戦を練った。それがあの――誘拐事件さ」
リュシアンの瞳には当時の怒りがまだ消えていないとでも言いた気に、不穏な炎が宿っていた。その熱い痛みに耐えるようにリュシアンは苦しそうに瞳を閉じると、次の言葉を待っている一同を前にゆっくりと顔を上げた。
「さすがの上王陛下も、幼い娘が誘拐されたとなれば、哀れな一家を気遣ってしばらくは婚約話など持ち出さないだろう。ほとぼりが冷める頃には、あの好色男のことだ、他の娘に手をつけて妃を迎えているに決まっている。そう考えて、僕たちはナタリアを守るために一芝居打つことにしたのさ」
「じゃあ……あの事件は、オルブライトの自作自演だったと言うのか?」
「僕らだって、皆を騙すことは本意ではなかった。だが、ナタリアを守るためには仕方なかったんだ。マーマデューク、君だってナタリアがあのままナンパ野郎の許婚になっていたら面白くないことになっていたはずだ」
「それはそうだが――って、ぼ、僕は別に……っ!」
慌てるデュークをテスが横目で楽しそうに見たが、デュークはあえてそれを無視した。
「し、しかし、あの時は確か、僕の父上の部隊も近衛兵も総出でナタリアの捜索に当たったが、それでもナタリアは見つからなかったと聞いているぞ。一体どこに隠して……」
デュークの言葉に、テスが感心したような声を漏らした。
「……なるほど、混沌ですか」
リュシアンは嬉しそうに頷いた。
「正解」
「しかし、混沌に人間が隠れようなど、正気の沙汰とは思えませんが。そもそも混沌に隠すと簡単に言いますが、こちらの世界と混沌は双方まったく別の次元に存在する世界です。その二つを繋いで行き来しようなど――第一、空間を切るなど、到底人間に出来る芸当とは思えません。それに、混沌で実体を保ったまま存在することなど不可能です」
リュシアンは有り得ないと言われれば言われるほど嬉しそうな顔になった。
「普通に考えれば君の言う通りだよ、テス君。しかし我々は――主にこの僕の博識を以てしてだが――この世界と混沌とを一時的にだが繋ぎ合わせ、その接合部を切って二つの世界を往来する術を見出した。加えて、我々には闇を払うロザリオがあった。この二つが揃えば、ナタリアを混沌へ隠すことも不可能ではなくなる。しかし……ここで一つ問題があった。それはこのロザリオが、男性用の物だったということだ」
「男性用……?」
「そうだ。さっきナタリアが持っていたのは、十二年前の事件の後に僕が見つけ出した女性用の物だ。男性用の物を女性が身に着けても、闇を払う効力は発揮されない。当時から、このロザリオが対で存在していることは知っていたが、十二年前にその片割れを探しているほどの猶予はなかった。何せあの国王がいつ痺れを切らせて早く娘を連れて来いと言い出すかわからなかったからね。一か八かだったが、あの男性用のロザリオ一つで混沌に潜ませるしかなかったんだ」
「だけど、男性用ってことは、ナタリアが着けたわけじゃないんだろ? 一体誰が……」
「それが、ナタリアの使役獣――ナイトさ。ナイトはあの事件の少し前にナタリアが召喚したばかりだった。彼はこの世に出でて間もないが、ナタリアへの忠誠心は絶大だった。無理もない。当時のナタリアは、天使か妖精かと見紛うばかりの愛らしさだったからね!」
瞳を輝かせて誇らしげにリュシアンは言い切った。心なしか頬が紅潮している。
「ナイトは自分から、ロザリオを身に付けてナタリアと共に混沌に潜むと申し出てくれた。しかも魂のままではロザリオは身に付けられないからね。具現化した人間の姿のまま混沌へ行き、そこでナタリアを守ると言ってくれたんだ。それが彼にとってどれほど危険なことなのかも顧みずに――」
リュシアンの言葉を受けて、テスが眉を寄せ険しい顔になる。
「確かに――それは危険ですね」
「なぜだ? 人間が混沌に入るよりもよほどましに思えるが」
疑問符を浮かべるデュークにテスが説明する。
「本来、我々獣の体はこの世に存在しません。主の力を受けて具現化しているとはいえ、所詮は偽者。本物の実体をもつ人間ですら、混沌の中ではその実体を保てないのです。偽者の体など、すぐに闇に溶けてしまう……」
「だが、たとえそれで肉体が消え魂だけの存在になったとしても、元に戻るというだけの話だろう? 獣というのは、本来魂だけの存在のはずだ」
「それはそうですが……。具現化して手に入れた体すら失っては――一体どうなるのか、わたくしにも想像がつきません」
「まあ、彼はロザリオを身に付けているからね。おそらくは大丈夫だとは思うが。何せあれから十二年も経っているからね……。どうしているのかは、正直僕にもわからない」
そのいい加減とも取れる態度に、再びデュークが憤る。
「おい! そんなことで本当にナタリアは大丈夫なのか!? 混沌の中でロザリオが二つ揃わなければ、かなり危険なことになるのではないのか!?」
しかしリュシアンは心配するどころか自信たっぷりな顔だ。
「それについては心配ないよ。僕がロザリオの位置を確認したからね。喜びのあまりうっかり足を踏み入れて抜けられなくなってしまったけど、混沌の中にもう一つのロザリオがあることは間違いない。二つのロザリオは互いに引き合う性質を持つ。だから混沌の中でナタリアはもう一つのロザリオの元へと導かれていることだろう。そしてそこにナイトと、おそらくは僕らの両親がいる――」
「両親って……だが、二人は、その――」
言い辛そうに言葉を濁すデュークを見て、リュシアンは小さく微笑んだ。
「『二人は死んだはず』だって? ――まあ、皆にそう言ったのは僕だからね。だからこそ言うが、二人は死んではいないよ――多分ね」
「多分って……」
自分の親の生死に関わることだというのに、相変わらずこの男はいい加減だ。デュークは思わず呆れたが、リュシアンは小さく肩をすくめて話し始めた。
「当時の僕は、両親は『死んだ』と言わざるを得なかったんだ――……」
十二年前――ナタリアとナイトが混沌に身を隠して三日が過ぎた頃だった。
いくら闇を払うロザリオがあるとはいえ、あまり長く混沌に潜んでいるのは危険だと、ジーンたちはナタリアをこちらの世界へ戻そうとした。
しかし、いざナタリアたちの潜んでいるはずの空間を切ってみると、そこにナタリアたちの姿はなかった。ナタリアたちが混沌の闇に呑まれてしまったのか、あるいは彼女たちが隠れた場所を見失ってしまったのかと焦ったジーンたちは、手当たり次第に空間を切り、混沌への道を開いた。
結局ナタリアたちは見つかったが、何箇所も空間を切ったことであちこちに混沌の穴が開き、ジーンたちはそこから出現した魔獣の退治に追われることになった。
「――僕とラビ、それから父とフェイ――父の使役獣だが、僕らだけで相手をするには、魔獣が多すぎた。戦いの最中、母を庇う形で父が、その父を追う形でフェイが闇に呑まれてしまった。その時、幼いが聡明だったナタリアは、とっさに自分の使役獣ナイトに命じたんだ――『父さんと母さんを守って!』ってね……。ナイトはその命令を守るため、父たちの後を追って混沌へ身を投じた。そうして、後には僕とラビ、そして泣きじゃくるナタリアだけが残った……」
リュシアンは遠い記憶に思いを馳せるように目を閉じた。珍しく愁いを帯びた表情は、黙っていれば美青年に見えないこともない――中身は残念極まりないが。
「ナタリアはそれから高熱を出して七日間寝込んでしまった。やっと熱が下がり目が覚めたときには、当時のことは何一つ覚えていなかった。本人には記憶を失っているという自覚はないだろうね。三、四歳の頃の記憶なんて誰しも曖昧だ。何も覚えていないとしても特に不思議には思わないだろう。僕もあえてナタリアに辛い記憶を思い出させようとはしなかった。彼女が忘れていたいのなら、思い出せるときまで――あるいは、思い出して自分を責めても大丈夫でいられるようになるまでは、無理に教える必要もないと思ったんだ」
「だが……その、自分の使役獣がいるということは、教えてやってもよかったんじゃないか?」
リュシアンの言葉を神妙な顔で聞いていたデュークが、遠慮がちに言った。さっきはつい感情的になってリュシアンを責めてしまったが、彼なりに妹のことを考えたゆえの行動だったと知って、ほんの少しばつが悪かった。
しかしリュシアンは小さく首を振った。
「どうやって? ナイトのことを話せば、おのずと彼が僕らの両親を守るため混沌にいるということも話さなければならなくなる。ナタリアは優しい子だ。真実を知れば、きっと自分を責めるだろう。皆を混沌から連れ戻す術がなければ、真実を明かしたところでナタリアをいたずらに苦しめるだけだ。……だが、僕は十二年かけて、やっとその術を手に入れた。対のロザリオ、混沌の中にいる皆の位置を探る術、そしてナタリアがすべてを知っても僕を怒らない状況――そのすべてが揃ったからこそ、僕はナタリアに家出という嘘をつき、こうしてこの森へ彼女を誘ったんだ」
「――ちょっと待て。今何かおかしいものが混じってなかったか?」
「へ?」
「『ナタリアが僕を怒らない状況』――というのは一体どういうことなんだ?」
デュークが尋ねると、リュシアンは屈託のない笑顔で答えた。
「ああ、それはつまりだね、たとえナタリアが十二年前から現在に至るまでのすべての真実を知ったとしても、『自分探し』の旅に出てしまうほど繊細な僕を気遣い、さらには僕に無事会えた喜びで、僕のことを怒る気持ちが失せてしまうような状況ということさ!」
繊細とは何だったのか。デュークはほんの少しだけ感心しかけていたリュシアンの評価を、ため息と共に急降下で元に戻した。
「僕が自分探しの旅に出たと知れば、ナタリアは僕のことが心配で堪らなくて、すぐに僕の後を追おうとするだろう――そう思ったのに、なかなかナタリアは追いかけてこない。仕方なく、僕は翌日この森で偶然出会ったラファエル君に伝言を頼み、ついでにナタリアの使役獣のフリをしてもらうことにした。『僕はボウヤー家の遠征の手伝いに向かったから、ナタリアにオルブライト家の部隊を一任したい』とね。あの食えない陛下のことだから、おそらく腕試しがてらナタリアを森の魔獣退治に向かわせるだろうと踏んだのさ。そうして、案の定君たちはここへやってきたというわけだ」
ふとリュシアンの話を聞いていたテスが首をひねる。
「リュシアン殿は、どうして陛下が我々を森に向かわせるとわかったのですか?」
国王が魔獣を退治させる目的でリュシアンを呼び出したのは、リュシアンが居なくなった一昨日の朝のことだった。謁見は翌日――すなわち昨日だったとはいえ、一昨日のうちには家を出ていたはずのリュシアンがそれを知る術はなかったはずだ。
しかしリュシアンはテスの疑問にさらりと答えた。
「それは簡単だよ。だって、森に魔獣が現れたって陛下に進言したのは僕だからね! 実際、ナイトたちの位置を調査するのにあちこちの空間を切ったので、そこから魔獣が現れていたしね。万が一ナタリアが僕の置手紙を読んでも後を追って来なかったときのために、一応予防線を張っておかなくてはと考えたのさ。それに、僕を追いかけたくてもどこへ向かったら良いのかわからない可能性もあるしね。……どうやら、後者だったようだが!」
それで無関係の誰かに魔獣の被害が及んでいたらどうするつもりだったのか。皆リュシアンのあまりの能天気さに呆れ過ぎて彼を責める気力も残っていなかった。
「ナタリアは怒るとどんな魔獣よりも恐ろしいからね! 僕が自分というものが何か見出せずに悩み苦しんでいたと知れば、そんなナタリアも僕の心身を案じこそすれ、容易には僕を怒らないだろうと思ったのさ!」
なぜか誇らしげに胸を張るリュシアンだったが、彼に同意する者は一人もいなかった。『自分探し』とか、どう考えてもナタリアの怒りを増幅させる演出としか思えない。
第一、ナタリアはリュシアンの身を案じたことなど一瞬たりともなかった。ましてや彼が自分探しの旅という名目で家を出たということすらデュークは初耳だった。ナタリアの脳内からも既に削除されている可能性が非常に高い。
「確かに、ナタリアは怒ると恐ろしい……」
ぽつりとこぼすデュークに、ラファエルは意外そうに目を丸くした。
「そうか? あいつの怒った顔、俺は嗜虐心を刺激されるけどな」
にやりと笑みを浮かべるラファエルに、なぜかテスが「わかりますわかります」と激しく同意したときだった。




