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3-4

 結局、ナタリアたちがラファエルに弾き飛ばされた魔獣を見つけたときには、どちらの魔獣も既に虫の息だった。

 そのまま使役獣たちが魔獣を混沌へ還し、森には何事もなかったかのような静寂が戻っていた。


 ラファエルはというと、二匹の魔獣を弾き飛ばした後すぐに人の姿に戻り、そのまま地面に崩れるようにして眠ってしまった。

 ナタリアが何度も起こそうとしたが、ラファエルは熟睡しているのか決して目を覚まさない。仕方が無いのでデュークが背中におぶって行くことになった。


「テス! お、お前という……奴は……っ! こう、いうことは……普通……主にはさせないものでは……ないのか……っ!?」


 荒い息をつきながら、デュークはテスを睨みつける。傍らを歩くテスは涼しい顔だ。


「デューク様、そのような優男一人担ぐのに苦労されているようでは、まだまだ鍛錬が足りないと言わざるを得ませんよ」


「何……言って、る……。この亀……馬鹿みたいに、重いぞ……っ!」


 苛立たしげに言葉を吐くデュークに、テスは白々しく驚いて見せた。


「ええ? そうなんですかあ?」


 どうやらすべて承知した上で主人にラファエルを背負わせていたらしい。

 もっとも、デュークが命令さえすればテスはその意志に逆らえないのだが、デュークにはたった今魔獣と戦ったばかりの使役獣に重労働を強いる気は毛頭なかった。テスも主のそういう優しさを理解しているからこそ、その気持ちを無碍に踏みにじったりはしないのだ――多分。


 ナタリアはデュークの背中で大いびきをかいているラファエルを見た。

 さっきは突然の事態に驚いているばかりで、一体何が起こっているのかすぐには理解できなかったが、ラファエルは自分が魔獣を倒すよう命じる前に亀の姿へ変化し、自分の命令を受けるまでもなく魔獣をやっつけてしまった。戦っている間も、ナタリアがその意識を支えるということをした覚えもなかった。もっとも、あまりにもあっという間の出来事で、何をしている間もなかったのだが。


 デュークの背中で寝息を立てるラファエルは、こうして黙っていればため息が出るほど秀麗だった。夕日を浴びてきらきらと輝く金の髪、瞼を閉じていると一段と長く見える睫、形のよい鼻、薄い唇、陶器のようにキメの整った白い肌と薄紅色の頬……。見れば見るほど、先程見た巨大亀が同一人物だとは信じられなかった。


「お前、さっきこいつのことを知っていると言っていただろう。あれから何か思い出したのか?」


 そう尋ねてきたデュークに、ナタリアは情けなさそうに首を振った。


「それが……詳しいことは全然思い出せないの。思い出そうとすると、まるで記憶に靄がかかったみたいになって……」


 ナタリアの言葉を聞いて、デュークの脳裏にふとナタリアの過去の誘拐事件のことが浮かぶ。確かナタリアは、その頃の記憶も失っていたはずだ。もしかして、ラファエルのことを思い出せないことと何か関係があるのだろうか。

 隣にいたテスも同じことを考えたのか、デュークにだけ聞こえる声でそっと囁いた。


「――今はまだ、無理に思い出そうとしない方が良いのかもしれませんね。もしかしたら、思い出さなくて良いことまで思い出してしまうかもしれませんし」


 おそらく誘拐事件の折に亡くなった彼女の両親のことを指しているのだろう。リュシアンの話では獣に襲われたというから、幼いナタリアは、相当凄惨な現場を目の当たりにしたのかもしれない。


 ナタリアとラファエル、デューク、テスの四人は、一旦宮殿へ報告に戻ろうということになり、来た道を引き返していた。

 第七小隊の猛獣使いたちは、手分けして他にも同じような混沌の穴がないか調べに行っていた。あの黒い穴から魔獣が出現したのを確認した以上、このままそれを放置して行く訳には行かない。

 しかし、一体どうやってあの穴が出現したのか、またどうすればあの穴を塞ぐことが出来るのか、混沌から生じた使役獣たちにもわからなかった。


「突然変異とかで開いたのかしら。そうだとしても、どんな変異であんなふうに空間に穴が開くのかはわからないけれど」


 ナタリアの言葉に、テスは首を振った。


「それも否定は出来ませんが、もしもこの世界に異変が起こったために空間に裂け目が出来たのだとしても、その裂け目の向こう側が混沌だなど不自然すぎます。この世界と混沌は単純に表裏一体の世界というわけではないのですから」


 デュークは黙って考え込んでいたが、自分の思考能力の限界を超えた問題に明らかに苛立っているようだった。しばらく眉を寄せて必死に考えていたが、ついにぶんぶんと頭を振った。


「あ゛ーーーっ! わからない! 僕にはまったくわからないぞ! そもそも空間とか、表裏一体の世界とか、一体どういうことなんだ!? この世界はこの世界で、混沌は混沌だろうが!」


 テスは主の乱暴な見解に冷静な様子で頷いた。


「そうですね。まあ、要するにはそういうことです。それぞれの世界はまったく別のものとして、まったく別の場所にある。それが不自然に繋がっているというのが、まず気になる点の一つです」


 その含みのある言い方に、ナタリアは怪訝そうに眉を寄せた。


「『一つ』ってことは、他にもあるの?」


 テスは神妙な面持ちで頷いた。


「先ほどの空間の切り口を覚えていらっしゃいますか? まるで、刃物か何かを用いたように、見事にすっぱりと切られていました。何らかの自然現象で空間が避けたのであれば、あのようにきれいな切り口にはならないでしょう」


「――てことは、誰かが故意に空間を切ったってこと?」


「それだけではありません。わたくしの推測が正しければ、その誰かは、わざわざこの世界と混沌を繋ぎ、その結合部を何らかの方法で切っているのです。そんな非常識なことが普通の人間に出来るとは思えない……」


 テスの言葉にナタリアは不安になった。今日見た魔獣だけでも十分恐ろしいというのに、それ以上の何かがこの近くに存在しているというのだろうか。


「それって、人間の仕業じゃないってこと……? でも、自然現象とは考えにくいのなら、誰の仕業だって言うの? それに一体何のためにそんなことを?」


 その問いに答えられる者はいなかった。テスもデュークも黙り込んでしまう。しばらくの沈黙の後で、「確かなことはわかりませんが……」と前置きしてからテスが口を開いた。


「何者かがこの世界と混沌を結びつけ、二つの世界が繋がっている場所を切った。この推測が正しいとするならば、その何者かの目的は混沌に存在する獣の魂を魔獣としてこの世界に放つためと考えるのが自然でしょう」


 テスの見解に、デュークが唸るような声をあげる。


「だから、それが何のためだというんだ。害しかなさないような魔獣をこの世界に放って、一体何の得がある?」


 デュークの言葉に、テスは首を振った。


「それは人間の側の意見です。人間にとっては害悪でしかない魔獣も、彼らの側からしたらただ生きて存在しているだけのこと。その邪魔をする人間こそが彼らにとっての害悪なのです」


 テスの答えに、デュークは再び唸ってしまう。代わりにナタリアが尋ねた。


「それなら、犯人は魔獣なの?」


「いえ、それは無いでしょう。魔獣にそれほど高度な知能があるとは考えにくい」


「それなら、一体誰が混沌の穴を開けたというんだ!?」


 結局堂々巡りだった。ナタリアたちが再び考え込んでしまったときだった。


「しっ。……お待ちください」


 不意に近くの茂みが揺れる音がして、いち早くそれに気がついたテスが片腕を広げてデュークたちの前進を制した。


「誰かこちらに向かって来ます」


 テスの言葉を受けて、デュークもナタリアを背に庇う形で立ち止まる。


「テス」


「承知」


 ごく短いやり取りを交わしただけで、デュークとテスは互いの意志を確認し合った。テスはすぐさま獣の姿に戻ると、何者かが向かって来ている方向を睨み据えて構える。


 ナタリアも思わず唾を飲み込んで薄暗い茂みの向こう側を見つめた。がさがさという茂みを掻き分けるような音は、もうすぐそこまで迫っている。


 ナタリアたちの緊張がピークに達したときだった。突然茂みを掻き分ける音が止んだかと思うと、太い木の陰からすらりとした黒髪の美女が姿を現した。


 日の沈みかけた薄闇の中でもわかる褐色の肌。肩の上できっちりと切り揃えられた髪。エメラルド色の大きな瞳は驚きの形に見開かれてナタリアたちを見据えていた。

 現れた懐かしい姿に、ナタリアは思わず駆け出した。


「ラビ――!!」


 ラビと呼ばれた美女もまた、ナタリアの姿を確認すると、驚いた顔で駆け寄ってきた。


「ナタリア様!?」


 ラビは伸びてきたナタリアの腕を取ると、再会を喜ぶ間もなく開口一番こう言った。


「――ナタリア様、リュシアン様を助けてください!!」



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