3-2
ナタリアたち一行がいよいよ森の中心部に近付いてきた頃だった。
不意に前方の茂みが揺れて、ナタリアたちは緊張して身構えた。
ナタリアを背に庇うようにラファエルが進み出て、その前にデュークとテスが立つ。
次の瞬間、茂みから勢いよく何かが飛び出してきた。動きが早すぎてナタリアにはよく見えなかったが、どうやら大型犬ほどの大きさの魔獣のようだった。
最初に動いたのはバートと彼の狼だ。
「行け、アラン!」
主の声がかかると同時に、アランは放たれた矢のごとく魔獣に向かっていく。その後を追うようにして、他の隊員の使役獣たちも魔獣に襲い掛かる。
そのときになってようやく、ナタリアにも魔獣の姿がはっきりと見えた。漆黒のぬらぬらとした肌に毛皮は無く、逞しい体躯からは四本の太い足が伸びている。血走っているのを通り越した赤い目には不気味な光が宿っていた。
魔獣とは、混沌の中から無理やり這い出してきた魂である。ゆえにその体は混沌の影が作り出した紛い物に過ぎない。体つきこそ大型犬に似ているが、この世のどこにも存在し得ない異形の容姿は、初めて間近に魔獣を見たナタリアの胸を不快にさせた。
低く荒々しい唸り声を上げ、獣たちは組み合いながら地面を転げまわる。そんな獣たちを、主たちは後方から支援していた。それぞれ中空に魔法陣を浮かび上がらせ、その光の輪越しに使役獣に向かって両手をかざしている。
「――ああやって、獣に自分の力を送っているんだ。使役獣たちが魔獣と戦うためには、主の『戦う』意志が不可欠だ。猛獣使いは自分の意志を力に変えて、使役獣を支える。そうすることで、使役獣が使役獣として戦えるんだ」
格闘する獣たちに視線を据えたまま、デュークがナタリアに教えてくれた。
「使役獣も魔獣も、混沌に生じた獣というのは、本来は凶暴な闘争本能の塊のようなものだ。だが使役獣は具現化され実体を得ることで理性を保てるようになる。そうではない魔獣は、ただ獣としての闘争本能のままに戦うだけだ。獲物を前にした獣には、『狩る』という本能しかない。だから僕たち猛獣使いが自分の意志を力として使役獣に送り、彼らの理性を支える。それがつまり、使役獣が使役獣として戦うということなんだ」
ナタリアたちの視線の先では、獣たちの勝負が決したところだった。魔獣はアランたちの活躍のおかげで、地面にぐったりと横たわっていた。しかし戦意は喪失していないらしく、低い唸り声を漏らしながらなんとかして体を起こそうと、前足で必死に土を掻いていた。
猛獣使いたちは自分の使役獣を魔獣の元から呼び戻した。バートの狼アランだけが残り、苦しそうに呻く魔獣を前足で押さえつけている。
「我が忠実なる僕よ、お前の生まれし闇へ戻れ」
バートが短く命じると、アランと魔獣が姿を消した。一拍の後、バートが似たような口訣を唱えて召喚魔法を発動させると、アランだけが再び姿を現した。
「ご苦労様、アラン」
バートは両腕を広げてアランを迎え入れると、その背中を労わるように撫でた。鼻面を主人の脇腹に擦り付けて嬉しそうに尻尾を振るアランを見ながら、デュークがナタリアに説明した。
「アランは魔獣を混沌へ還してきたんだ。どんなに深い傷を負っていようとも、主人が呼び出せば使役獣はこちらの世界へ戻って来られる。だが……主を持たない魔獣は、混沌の中からは出られない」
デュークの言葉を補足するようにテスが続けた。
「――もちろん、今の魔獣のように、稀に主を持たなくとも混沌から抜け出てくる獣もいます。しかし、先ほどの魔獣のように手負いの体では、おそらくもう二度とこちらの世界に出て来ることは叶わないでしょう」
そう言うテスの瞳には、わずかに憂いが滲んでいた。ナタリアはテスのそんな顔を初めて見た気がした。いつもは愛想よく上げられた口元が今は硬く引き結ばれ、まるで何かに耐えているようだった。
「ナタリア様、デューク様」
バートがアランを撫でる手を止め、ナタリアたちに声をかけた。
「森で目撃されたというのはおそらく今の魔獣のことでしょう。とりあえず退治はしましたが、どうします? このまま城へ戻られますか?」
どうしますと聞かれても、正直なところナタリアにはどうすべきなのかわからなかった。仕方なく、隣のデュークを見る。デュークはすぐにテスに命じた。
「テス、念のため、近くに他の魔獣がいないか調べて来い」
「――承知いたしました」
そう言い終わるか終わらないかのうちに、テスは白く柔らかそうな毛皮に覆われたホワイトタイガーに姿を変えた。逞しくしなやかな前足で力強く地面を蹴ると、そのまま木々の間を縫ってあっという間に森の奥へ消えて行く。
「へえ……! さすが、高位の獣は迫力が違うな……!」
ナタリアの後ろで、ラファエルが感嘆の声を漏らした。まるっきり他人事のような顔で感心しているラファエルに、ナタリアは苦笑しながらも頷いた。
「――そうね。わたしも、テスの姿はいつ見てもすごいと思うわ」
テスやラファエルのように普段人の姿をして、自分たちと同じように動き、会話しているとつい忘れそうになるが、彼らは人間とはまったく異種の生き物なのである。こうして真の姿を目にするとそれを思い知らされる気がした。
ナタリアの考えていることがわかったのか、デュークがナタリアに言った。
「使役獣は使役獣だ。人間でも、動物でもなければ、魔獣でもない。そのどれとも違う生き物だ。だが――その中で、彼らに最も近い生き物が魔獣なんだ」
デュークはどこか悲しそうにテスの消えて行った方角を見やった。
「使役獣と魔獣の一番の違いは、僕たちがいることだ。僕たち猛獣使い――つまり主がいるから、使役獣はこの世界で具現化した実体を持って存在できる。テスの話だと、混沌の中では獣には体とか感覚だとか、そういったものはまったく無いらしい。ただ魂というか、漠然とした意識だけがそこにあって、獣たちは闇の中を漂っているのだという。主人に見出された獣の魂は、召喚されることで初めてその混沌の中から抜け出すことができるんだ。主人である猛獣使いの使役獣として、外の世界に出て、自由に考え動く体を得ることができる……」
デュークは戦いを終え、主人の元で毛繕いをするアランたちを眺めた。
「魔獣が哀れな存在だということを、同じ混沌から生じた使役獣が一番よく知っている。だから使役獣は主人である猛獣使いの意志に従って魔獣と戦ったとしても、決して殺すことはしない。獣というのは、本当はものすごく情の厚い生き物なんだ――人間なんかよりもずっとな」
ナタリアもデュークの視線を追って使役獣たちを見た。先程魔獣と戦っていたときの鋭い気配はすっかり影を潜め、今は皆主の傍らで穏やかに体を休めていた。
ナタリアも一般知識としては、魔獣や使役獣についてそれなりに知っているつもりだった。使役獣と魔獣が同じ混沌から生じた獣だということも、猛獣使いが召喚することで使役獣が実体を得るということも知っていた。しかし、猛獣使いと使役獣の関係についてはわかっていたつもりでも、魔獣と使役獣の関係や彼らの内面についてまでちゃんと考えてみたことはなかった。
獣のことをどこか悲しそうに説明するデュークを見て、ナタリアは自分が本当は彼らについて何も知らないのだということを思い知らされた気がした。
「わたし、ただ猛獣使いになりたいって、そればっかりで……。素質があるとかないとか、そういう事しか考えてなかった。使役獣とか、魔獣とか、それがどんな存在なのかなんて全然知ろうともしないで」
ナタリアは自分の未熟さが恥ずかしかった。今までただ猛獣使いになりたい、使役獣が欲しいという自分の願望ばかりが強く、ふてくされる駄々っ子のように自分には素質が無いのだと勝手に落ち込んでいた。自分が獣について何も分かっていないということに気付きもしないで、ただ闇雲にも猛獣使いになりたいと考えていた自分が今は恥ずかしかった。
デュークは優しく微笑んだ。
「そんなもの、これから知っていけばいいだろうが。僕だって、テスを召喚するまでは何も知らなかった。それよりも、大事なのは使役獣の主として何が出来るか、何をしなければならないのかということだと、僕は思うぞ」
猛獣使いは使役獣を召喚しただけでは猛獣使いになれるわけではない。使役する獣を理解した上で、彼らに寄り添い、従えるのが猛獣使いなのだ。
魔獣と戦う使役獣たちと、彼らを戦いに向かわせる猛獣使いたちを見て、ナタリアは初めてそのことを知ったのだった。




