龍
龍
数日、美羽は布団から起き上がることが出来なかった。その理由が自分でも解らず、竜軌に尋ねても笑顔で誤魔化された。竜軌は宣言したように、美羽の傍を離れなかった。急な眠気に目を閉じても、起きれば必ず竜軌がいた。優しい声で語りかけてくれて嬉しかった。ある日見知らぬ女性が二人やって来て、美羽に幾つか質問した。美羽はろくに答えることが出来ず、その内に気分が悪くなってきた。それを見た竜軌は彼女たちを追い返してしまった。何だったのと尋ねても、竜軌は曖昧に笑って気にするなと言った。美羽はずっとこのままでも良いと思っていたが、その内、普通に起きていられるようになった。それでも竜軌は美羽を甘やかすように、優しいままだった。
晴れた日、弁当を作ってくれ、と竜軌に言われた美羽は、彼がまた一人で出かけるのかと思った。
美羽の表情を見た竜軌は、二人分だ、と言い足した。
「一緒に庭で食おう」
美羽は明るい顔で強く頷いた。
お弁当が出来ると、竜軌はそれと丸めたシート、水筒、携帯蚊取り線香を持った。
〝どれか持つわ〟
「いや、いい。それだと歩きながらお前と会話出来ない」
美羽はメモ帳とペンだけを持ち、竜軌と庭に降りた。
蝉の声が鳴る中、竜軌の腕に触れる。
「ん」
美羽が指差した先には、小さな稲荷の祠と赤い鳥居があった。緑の葉や黒や茶色の幹、枝の中で朱色は目立つ。
「ああ、あれはただの縁起担ぎだ」
〝商売繁盛?〟
それを読んだ竜軌が軽く噴き出す。
「間違ってはいないな。政治屋もある種の商売だ。先払いで商人に選ばれたからには、良政という品を提供する義務がある」
竜軌の言うことは、美羽には時々難しい。
〝あの場所だと縁起が良い?〟
「さあ、稲荷は北西に置けとか北東に置けとか、色々聞くが、結局のところはよく解らん。そこ、足元に気をつけろ」
言われて、芝から飛び出ていた木の根を超える。
超えた先には地面を這うように変わった形の樹が何本もあった。
〝このへんの樹、うねうねしてる。変わってるわ〟
「臥龍梅だ。ここらのは全部。二月になると梅が咲く。来年も日本にいれば、一緒に見に来るか」
〝竜?〟
「違う、画数の多いほうの龍。画数の多いほうの臥せる、という字と合わせて臥龍。臥せる龍だ」
そう言って竜軌は荷物を左腕にまとめ、美羽のメモ帳に漢字を書いてやる。竜軌の字は勢いのある達筆だ。毛筆だともっと様になりそうだと美羽は思う。
〝かっこいいわ。竜軌に似合う〟
「そうか?」
臥龍という銘を持つ神器の剣の持ち主を、竜軌は思い浮かべていた。
美羽は嬉しくなり、身を屈め、黒くて硬い樹の枝を撫でた。ガサガサしてゴツゴツして、竜軌の掌に似ている。そう思うと笑みが浮かび、更に慎重に、慎重に枝を撫でた。樹の寿命は判らないが、長生きしてね、と心で呼びかけた。
「…樹に優しいな」
〝だって、「りゅう」だもの。あなたの仲間だわ〟
竜軌は美羽の言葉を聴いて伏し目がちに、口元をほころばせた。




