揺らぐ水面
揺らぐ水面
「ハーブティーがどうかしたか」
沈黙したままティーカップに目を注いでいた竜軌に、剣護が話しかけた。
「いや」
「赤いな、これ。――――林檎の香りがする」
真白は出かける前に、剣護にもハーブティーを出して行った。
液体は時に人の記憶を刺激する。
揺らめき波打つ在り様が、心をも似た形状に導こうとするからだろうか。
(だが記憶は食えぬ。触れぬ)
芳香や手触りをいくら思い出したところで、生殺しだ。
「腹が立つ男だ。門倉剣護。マゾめ」
「あんたさ、それ、百パーセント八つ当たりだろ」
あっけらかんとした剣護の鷹揚な声に答えず、白磁に金の縁取りがされたカップを見る。
今まで赤い水面ばかり見ていて、カップが目に入っていなかった。
いかにも荒太好みの良品だ。
(細かいところに一々、小金をかけおって)
腹立ち紛れに割ってやろうかと邪心を抱くが、真白の顔を思い出し断念する。
「このティーセット、真白と荒太が二人で選んだ物だからな」
「……だから何だ」
狙いすましたような剣護の声に、問う。
「いや。故意に割ったりしたら、いくらあんたでも真白に怒られるだろうなと思っただけ」
竜軌は盛大に舌打ちする。
元来、天邪鬼な性分ゆえに、竜軌は人に心を悟られることを好まない。
その為、今の剣護の物言いは彼の神経を著しく逆撫でした。
ちら、と足元のカーペットを見る。
白でアラベスク模様が織り込まれた生成り色のカーペット。多少の水をこぼしたところで弾き返しそうな上等な毛織物。
学生が身の丈に合わん買い物をしおって、と思う。それを可能にするだけの甲斐性を持つ荒太のそつのない能力が、尚、忌々しい。
要するに今、竜軌は、この世の全てが気に食わなかった。
目に触れる物、手に触れる物全て、グシャグシャにしてしまいたかった。
幸せそうな男と女など破滅してしまえば良い。
ここでテーブルをひっくり返しでもしたら、赤い液体と粉々になった磁器の破片が上等なカーペットに散ってさぞや爽快だろう。
そしてその惨状を見たら真白は。
あの白い花のような女は――――――――――。
そこに思い至ってから、竜軌の心は急速に静まって行った。
竜軌は頭の悪い真似はやめることにした。
掴みどころのない記憶に苛立ち、癇癪を起こすのは。
(俺とて怒らせてはならぬ相手くらい、心得ている)
赤い水面を揺らすと、苛立ちも共に飲み干す勢いで、だいぶ冷めたそれをぐいと飲んだ。