渦
渦
美羽が閃かせた手を、竜軌は避けなかった。
バシッと激しい音が響く。同時に鉦が落ちてコトン、リン、と鳴った。
竜軌の表情は揺らがず、双眸から涙を流す美羽を見つめていた。
身を翻そうとする美羽を、荒太が肩を掴んで止める。
「あかん、美羽さん!今は外に出るんやないっ」
美羽は荒太の頬も打った。
(真白さん。真白さんの優しさも、嘘だったの?)
蘭が守ろうとしたのも。
皆、〝美羽〟ではなくて〝きちょう〟を見ていたのだ。
「お前は俺を信じると言った」
その声に竜軌を見る。
「別の名を呼んだ程度で、揺らぐ信頼だったのか」
竜軌の顔には静かな怒りと憤りがあった。
美羽は震える手で文字を書いた。
〝だましてたくせに〟
「騙してない」
〝ほかのひとをすきだった〟
書きながら涙が紙にこぼれ落ちた。文字が滲む。
「他の女じゃない。―――――――お前以外の女に、誰がここまでするかっ!!」
ダン、と廊下の壁に美羽の身体を押しつけると、竜軌は唇を荒く重ねて来た。
(いや。裏切った。嘘吐き)
竜軌の唇を思い切り噛んでも彼は一向に怯まなかった。
鉄の錆びたような液体が美羽の口にも入り込んでくる。
互いに血の味を舌に感じながら、二人の攻防は続いた。
やがて美羽が鎮まると、竜軌は顔を離した。
強い光を目に宿して唇から真紅を滴らせる竜軌は、狩りを終えた獣のようだった。
こんな時でも彼を綺麗だと感じてしまう自分が、美羽は口惜しくてならない。
獣が心を寄せたのは、自分ではないのに。
荒太が慎重に口を開く。
「…美羽さん。〝きちょう〟は、あんたの昔の名前や。憶えてへんやろけど。この七面倒臭い男が惚れたんは、今も昔もあんたしかおらん。新庄を懐かしいて、思うたことあるやろ?どっかで会うたような気がしたこと、ある筈や」
美羽は何を信じれば良いのか解らなくなった。
竜軌も荒太も、嘘を言っているようには見えない。
そして荒太の指摘には確かに、思い当たることがある。




