最後の挨拶
道三死す。
その知らせは赤花火によって一芯にもたらされた。
青鬼灯は身の程知らずにも真白に手出ししようとし、荒太に殺されたと言う。
愚かな男だ。
多少、情が無いでもなかったので、もっと賢く生きなよ、と一芯は胸中で死んだ青鬼灯に遅過ぎる苦言を呈した。
一芯より情が濃い薫子は、やや消沈している。
小十郎や成実、雪音を含め、室内にいる中で青鬼灯の死を悼んでいるのは薫子一人だろう。
「一芯。まだ戦を続けるの?」
「道三が死んだだけであって大局に変化は無い」
「あたしは一芯にも雪音君にもこーじゅにも成実にも死んで欲しくない」
「姫。ついに俺の愛が通じて…っ?ぐええええええ」
成実の台詞後半は、小十郎による首絞めの為、声が潰れた。
「………」
「一芯?」
「少しだけ視えたんだ。道三の終わりが。濃姫は信長公に、楽に逝かせてやれと言ってた」
雪音を除き、美羽の事情を知る面々が思うところありげな表情になる。
道三の仕打ち。
義龍の悲しみ。
苛まれた帰蝶。
「公はその願いを叶えた」
一芯は健在な右目を伏せた。
翌日、竜軌と美羽は琵琶湖線で大津に向かった。
街中で見る琵琶湖は美羽が想像したより濁っていたが、竜軌と二人であればどんな濁りでも許せる気がした。
欄干に寄りかかる美羽に、竜軌は、昔はもっと美しい湖だったのだ、と惜しむように言った。
「山まで行けば違って見えるだろうし、余呉湖まで足を伸ばせば、水ももっと美しいぞ。安土の天守からはな、鏡のような琵琶湖の湖面が見えたんだ」
それは見たかったかもしれない、と美羽が思っていた時。
鮮やかに明るい青が視界を覆った。
自然界に有り得ないような青の鮮やかさ。
略式ではない結界の効果だ。
竜軌の結界色は黒。
ならばこれを張ったのは――――――――。
佐原一芯。
嘗ては伊達藤十郎政宗と呼ばれた男が、神器を手に佇んでいた。
「まだ遊び足りんのか、小僧」
「ええ。ですが伊達と織田の抗争にする積りはもうありません。望みは信長公。あなたと一手、仕合うことです」
些か顔つきが変わった、と竜軌は感じた。
しゃにむに自分を越えよう、倒そうとしていた筈の男が、成長して大人になったようだ。
今の一芯は以前の彼より一回り大きい。
そうであるならば。
「良かろう」
「りゅうき!」
「大丈夫だ、美羽。離れていろ。起きろ、六王。仕事だぞ」
螺鈿細工を煌めかせながら、黒い漆塗りの素槍が現れる。
美羽が離れるのを見計らって、一芯が先に仕掛けた。
上段から振り下ろされた一芯の論を、竜軌の六王が悠然と弾き受け流す。
旋回する六王の刃を一芯がかわす。
五歩ほど後退し、次は下段から一芯が仕掛ける。
上に斬り上げるも腹を六王の刃で突かれそうになり、すんでで避ける。
間を置かず六王を繰り出す竜軌。
「おおおおおお!!」
一芯が咆哮しながら入魂の刺突を繰り出す。
大きく後ろに跳んで、竜軌がこれを六王の刃で弾いた。
白い火花が散り落ちる。
落ちる前に次は竜軌が先に仕掛け、竜軌の身と六王を迂回し、背後に回った一芯が袈裟懸けに斬りつけるも、またかわされる。
突いて、退き、斬りつけて、いなす。
いなして繰り出し、その懐を剣がかする。
次第に単調になりそうな攻守に、そこは歴戦の者同士あって、長引いても技は目新しい組み合わせを保った。
攻防はしばらく続いたが、やがて一芯の息が切れ始めた。
はあ、はあ、と荒い息と共に汗が滴り落ちる。
成人済みの竜軌とまだ発育途中の一芯では、どうしても体力に差が出るのだ。
「これまでだ」
「まだ行ける」
「お前は自らを把握出来ぬほど愚かか」
竜軌は言うと、さっさと六王を闇に帰してしまった。
「待て……っ」
そのまま、一芯の制止も聞かず、美羽を連れて結界から姿を消す。
一芯はそれを成す術なく見送ると、鮮やかな青の中に仰向けになった。
力は尽くした。
やれることはやった。
この充足感は、前生の最期にも似ている。
禅の師匠である虎哉宗乙は、家臣らに床に臥せった状態を晒すな、と政宗に教え込んだ。
政宗は最期の病床を除き、教えを遵守した。
それが誇り高き竜の生涯だった。
しかし今は――――――――。
「一芯」
「薫子…」
左目だけを声がしたほうに巡らす。なぜか悪戯がばれた子供のような気持ちで。
だが、薫子は慈しみを感じさせる笑顔だった。
転がる一芯の頭を、折り畳んだ自分の脚に乗せる。
「頑張ったのね」
「……」
「あたし、ちゃんと見てたわよ。政宗だった時も。…頑張ったね、一芯」
薫子らしい物言いに、一芯は思わず微苦笑する。
それから、少しからかう口調で尋ねた。
「無事に帰ったらって約束、憶えてる?」
「え?何それ」
「したじゃんー。東京に生還したらご褒美に薫子をくれるってー」
「ええっ?してないわよ!」
「したしたー」
「してないってば!」
薫子は赤面しつつも、一芯の汗に濡れた髪を優しく梳いた。




