陽は天にありて
陽は天にありて
電車が男の姿を隠した。
蘭がすいと前に動くと、硬い声を電車の走行音に負けぬよう発する。
「美羽様。私の後ろを動かれぬようお願い致します」
背後の美羽が頷くのを、気配で把握したようだった。
電車が通り過ぎ、黄揚羽蝶のような黒と黄の遮断桿が上がる。
踏切を渡り歩み寄って来た男は美羽に声をかけたがっている面持ちだったが、それより早く蘭が美羽を背後に遣っていたので、結果として蘭に挨拶することになった。
「お早うございます」
「失礼だがあなたは?」
素早く蘭は言葉を返した。閃く刃物のような彼の声を、美羽は初めて聴いた。
「先の新庄孝彰氏主催の園遊会に招かれていた者です。央南大学文学部史学科教授の、朝林秀比呂と申します」
好戦的とも言える蘭の問いに、秀比呂は丁寧且つ温和に答えた。
「そうですか。彼女に何か御用が?」
「失声症を患ってらっしゃると伺いまして。私の友人にも同じ症状に苦しみ、近年それを克服した人間がおりましたので。私の知る彼の話が、何かの助けになればと思ったのです」
滑らかな口上だった。予め用意したテキストを読み上げるような。
「随分、ご親切な方だ。それでわざわざ待ち伏せを?」
秀比呂は照れたように頭を掻く。
「すみません、度が過ぎたお人好しだとよく言われます」
「そのようですね。ご厚意は有り難いが、彼女は既に専門医に掛かり、順調に回復傾向にあります。医師によれば声が出るようになる日も遠くないとか。そういうことですので、あなたのお話も必要ありません」
蘭の口調は飽くまで刃のままだった。美貌はまるで氷の華だ。
無論、美羽は専門医になど掛かっていない。
秀比呂は気分を害した様子も見せず、そうですか、それは出過ぎた申し出をしました、と述べるとゆっくり歩み去った。
彼は話の間中、一貫して美羽の姿を垣間見る隙を窺っていたが、蘭の身体がそれを阻んだ。秀比呂の背中が見えなくなるまで、蘭は厳しい顔つきを緩めなかった。
カンカンという音と共に、遮断桿が再び降りて来る。
「…美羽様。大事ございませんか」
振り向いて尋ねると、美羽の顔は蒼白だった。
〝蘭。あの人は何者なの。知ってるんでしょう〟
蘭は明快に事実を答えた。
「竜軌様の敵です」




