サロメ
嫌な予感がする、くれぐれも気をつけろ、と言った荒太の忠告を、竜軌は怯懦と鼻で笑った。
何せ京都は織田のお膝元と竜軌は認識している。
その上、森家兄弟のほとんどが今、京に集っているのだ。
何を恐れることがあろう。
竜軌のその態度を、荒太が苦々しく評した。
〝相変わらずやな、あんた。…あんたに何かあれば美羽さんにまで累が及ぶんやで。本能寺の変を忘れんなや〟
竜軌もこの言には、さすがに笑いを引っ込めた。
(美羽)
例え自分が死んでも、幸せでいて欲しいと願う唯一の女性。
例え自分が死んでも、笑っていて欲しいと願う唯一の女性。
けれど自分が死んだら、きっと永遠に笑いを忘れるであろう彼女。
―――――――帰蝶は自分と出逢うまで笑いを忘れていた。
だからこそ、道三を赦すことは出来ない。
「お前がサロメのような女だったらな…」
同じ床の中、美羽に口づけしながら竜軌は言う。
「りゅうき?」
サロメとは誰だろう、と美羽は思う。
昔の恋人の名前なら嫌だとも。
「預言者ヨカナーンの首を欲しがった王女の名前だ」
美羽が枕元に置いたメモ帳に伸ばそうとする手を、すかさず竜軌が押さえて、その手の甲にも唇をつけて甘噛みする。
噛んだり舐めたり、獣のような愛し方はいつも通りだ。
「大した話じゃない。サロメは愛欲からヨカナーンの首を求めた。お前が憎悪から男の首を求めるような女なら、話が早いと思っただけだ」
美羽は誰の首も欲しくない。
そう言いたいのが眼差しで知れたのだろう、竜軌が頷いた。
「解っている」
美羽の髪の毛を額からさらりと掻き遣って、浴衣の襟を開かせ、胸に顔を埋める。
(解っている。美羽。道三の首を欲して止まんのは俺だ)
「りゅうき…」
美羽は勘が鋭い。
今の自分の物騒さを知られぬよう願いながら竜軌は蝶の身を解し、開いていった。
正直なところ、こうしている間は自分でさえ道三のことなどどうでも良くなる。
男の現金さに呆れながらも、竜軌はその夜も、美羽を決して離そうとしなかった。
腕の中に捕え、愛し尽くした。




