戦場天使
能楽堂の楽屋。
演じ終えたあとの竜軌は汗だくで、シャワーを浴びると美羽に言った。
改めて、能の運動量を再認識した美羽はこくこくと頷く。
本当は抱きつきたいところだったが。
「喉が渇いた。千丸。外で適当に何か買って来い。数種類な」
「はい」
「人使いが荒いな、新庄」
自らも見事に演じ切った怜が柳眉をひそめる。
こちらは涼しげだ。それが怜だからなのか、竜軌の演じたシテ、という主役とは役割が違うからなのか、美羽には判らない。ただ、ぺこん、と頭を下げた。
怜が彼ならではの静かな微笑を湛えてそれを見る。
「お久し振りです、美羽さん」
〝怜さんも〟
「お元気でしたか?」
ちらり、と手で顔を煽ぐ竜軌を見ながら、怜が尋ねる。
竜軌が無茶を言っていないか、心配してくれているらしい。
美羽はにっこり笑って頷いた。
―――――――殺すだけでは飽き足らない相手、のことは、今は忘れることにした。
土蜘蛛を演じる竜軌が、なぜか寂しそうに見えたことも。
下鴨の旅館を出て、竜軌の命令を遂行しに飲料の品揃え豊富なスーパーに行こうとした千丸は、旅館の敷地を出て、下鴨本通りを五十メートルほど北上したところで足を止めた。
向かいから、学生服のコートを着て歩く少年の顔に感じるところがあったからである。
いや、正確には匂う神気に。
前生、名のある武士であったと判断する。
まだ顔立ちはあどけないが、凛々しく真摯な思いを宿していると判る。
年齢は自分よりやや下、か。
向こうは向こうで、千丸の素性を探っている様子だ。
つまりこの出逢いは偶然―――――――――。
まずは人が寄らぬよう、略式結界を張る。
先に少年が口を開いた。
「…いずれ名のある御仁と拝察仕る。私は畠山国王丸。御身の名を告げられたし」
(畠山国王丸)
伊達に翻弄された悲運の若き武将の転生か、と千丸は思った。
「畠山国王丸どのであられたか。相まみえて嬉しく思うぞ。例え格下でもの。儂は森千丸忠政」
応じられるままに名乗り、傲岸に笑って見せる。
国王丸よりはるかに長く、統治者として乱世を生き抜いた千丸にとって、国王丸は若輩者に過ぎない。見掛けは同年代でも、子や孫のようなものだ。
国王丸が驚きの後、明らかにむっとしたのが見て取れる。
「名高き美作津山藩の初代藩主ともあろう御仁が、礼を失せられるか」
咎められ、千丸が氷のような笑みを披露する。
天使のような顔立ちの少年がそうすると、異様な迫力が出る。
「これはしたり。若造が儂と同列に立たんと欲するか。分を弁えよ」
実際のところ、千丸は揶揄し、遊び、この若い魂を挑発していた。
兄たちのように、自分もそろそろ実戦に出たくて仕方なかったのである。
(相手がこれでは役不足だが、肩慣らしにはなろう)
「竹虎。咆哮を歌えよ」
国王丸の言霊に現れたのは、金覆輪の威容ある刀だった。
(ふん?生意気な)
「鵜丸よ。獲物ぞ」
紫の柄拵えの太刀が千丸の右手に収まった。
「愚弄は許さぬ」
きっ、と国王丸の眉尻が上がる。
「では参れ。遊んでやるほどに」
朗らかに、歌うように千丸が答える。
千丸が天使のような満面の笑顔を花開かせると同時に、戦端も開いた。




