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演目は

「ここ、良い?」

 そう言って、真白の返答も待たずに向かいの席に着いた長身の影があった。

 真白は無表情で相手を見る。逢うと思わなかったと言えば嘘になる。

 この状況だ。

 だが。

「良くはないわ、青山さん。伊達の乱破さん」

 真白は静かに青鬼灯に述べる。

 青鬼灯は腕を組み、背を屈めて寒そうにした。真白に構わず、ウェイターにコーヒーを注文する。

「そうだね。俺たち、敵陣営にいる者同士。俺はロミオって柄じゃないけど、君はジュリエットっぽいよね」

(とう)が立ってるわ」

「関係無いよ」

 外のエリアと通じるカフェのガラス戸が開く。

 ウェイターがコーヒーを運んできたのかと思いきや。

「はーい、ピエロでーす。お久し振りー、青なんとか君」

 表面上は笑顔で現れたのは、剣護だった。

 二人向かい合って掛けるテーブルに、近くの空いた椅子をガガガ、と引き摺って、真白の隣に置いて座る。

「警告はしたよね?青なんとか君。あ、すいませーん。チョコレートパフェくださーい」

 のんびりした口調で、剣護は表面上、長閑だ。

 灰色がかった緑の目だけが笑わずに、青鬼灯を見ていた。



 ―――――浮き立つ雲の行くへをや。風のこゝちを尋ねん。

 これは頼光の御内に仕へ申す。胡蝶と申す女にて候。

 さても頼光例ならず悩ませ給ふにより。

 典薬の頭より御薬を持ちて。胡蝶が参りたるよし御申し候へ―――――――



 古風な語りを、美羽は能楽堂の客席から聴いていた。

 下半身が冷えないよう膝掛けを掛け、用意された抹茶を飲んでいる。

 雪に水仙の咲いた意匠の上生菓子までついて、至れり尽くせりだ。

 しかも観客は美羽一人。

 貸切りである。


 旅館の能楽堂は音響効果抜群だった。

 加えて、力丸、千丸、蘭の声も張りがあってよく通る。


 ――――――色を尽くして夜昼の。色を尽くして夜昼の

 月清き。夜半とも見えず雲霧の。かゝれば曇る。

 心かな―――――――


 朗々として、今時のアイドルの、ポップな歌声とは大違いだ。

 力丸などは、普段の悪がき振りが嘘のように神妙に畏まって端坐している。

 伏し目がちに千丸と並ぶ光景は、威風のようなものすら感じさせた。

 本来は派手な装束も大きな見所である『土蜘蛛』を、紋付袴で演じるのは惜しいところと、珍しく蘭が竜軌に意見がましきことを言っていた。


 その蘭は今、舞台の上で胡蝶の精に成り切っている。

 地味な紋付袴だが、竜軌の提案により、唇に紅を注している。

 それだけで見違えるように艶やかに見えるのが、蘭という男だった。

 全体的に俺流にアレンジした舞台だから、これを本式とは思うな、と美羽は竜軌に釘を刺されていた。

 竜軌らしい。

 

 病に伏す頼光を、なぜか独武者を演じる筈の伝兵衛が演じている。

 一人二役なのかしら?と美羽は思った。

 竜軌は病身の頼光を見舞う怪しい僧侶として登場した。

 実は彼こそは頼光の命を狙う「土蜘蛛」なのだから、美羽は悪役登場だわ、とドキドキした。

 そうした先入観があるからだろうか、竜軌の台詞もどこかおどろおどろしく聴こえてくるから不思議だ。

 突然の来訪を訝しむ頼光に、竜軌扮する僧侶はこう答える。


 ――――愚の仰候ふや。悩み給ふも我がせこが。来べき宵なりさゝがにの―――――


 この後半は、古今和歌集に収録されている恋歌の上の句である。


 我が背子が 来べき宵なり ささがにの 蜘蛛のふるまひ かねて知るしも


 ささがには蜘蛛を導き出す枕詞。細蟹と書いて蜘蛛の異称だ。この時点で僧侶は、己が正体が土蜘蛛である、と暗示しているのだ。


 歌を口ずさみつつ、徐々に頼光に近づく僧侶は、遂に本性である蜘蛛の化け物の姿を表す。

 ばあ、と投げ掛けられる無数の蜘蛛の糸。

 ここは『土蜘蛛』の華である。

 千丸が左小脇に抱えた鼓を勢いよく打ち鳴らす。

 美羽も思わず拍手しそうになった。

 しかし、舞台鑑賞中は沈黙厳守と教わったことを思い出し、辛くも留まる。

 派手な立ち居振る舞いではあるものの、能の所作は全体として静かな印象を美羽は受けた。過剰さを抑制しているような。見た目よりもずっと体力を使うとは聞いていたが、それは抑制ゆえのことだろうか。

 ただ放埓でない動きには、とても気品がある。

 竜軌も、蘭も、伝兵衛も。

 謡の力丸、千丸も皆。


 ここで騒ぎを聴いて頼光の部下、独武者が登場する。

 橋掛(はしがかり)(楽屋から舞台への通路)に現れた姿を見て、美羽は、あ、と声を上げそうになった。

 他の皆と同じ紋付袴装束の彼は、真白の兄、江藤怜だったのだ。

 森家の兄弟たちとは異なる、静やかで秀麗な面立ちには僅かの動揺も無い。

 予め竜軌と打ち合わせてあったのだ、と美羽にも解った。

 彼は美羽の驚愕も横に、涼やかな顔で舞台に進み出て、竜軌演じる土蜘蛛と対峙した。


 ―――――土も木も。我が大君の国なれば。いづくか鬼の。やどりなる――――――


 竜軌よりやや高く、けれどやはり朗々と流れるような響きの声。


(鬼の居場所は無いって言ってるのかしら……。竜軌は、この場合の「鬼」は、朝廷にまつろわぬ人々だと言ったわ。まつろう…服従しなければ人外として滅ぼされるシステムが古来からあったのだと)


 ゆえに強者も哀れよ、と竜軌は語った。

 逆らう者を殺し尽くさねば気が休まらなかったのだ、と。


 美しく華やかな舞台を観ながら、美羽は複雑な心境になった。


 やがて舞台はクライマックスに移る。

 竜軌が低く言い放つ。


「情けなしとよ客僧たち、偽りあらじといひつるに、鬼神に横道なきものを」


 鬼神が、敵を外道と責めている。

 竜軌が、誰かをそのように責め立てているようだ。







挿絵(By みてみん)









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