青い空
翌日はすっきりとした快晴だった。
空気が澄み切って、青が青と明快に見て取れるような。
蘭が持ち前の交渉術で、旅館側から能楽堂使用許可を得た。
ここでも竜軌の前生は知られていたし、鱗家の名が効いたことも確かである。
竜軌の意向で装束は無し、舞台上の全員が紋付袴で統一することになった。
「病気の源頼光を訪ねた僧侶が、実は土蜘蛛の精という奴で、頼光の命を狙っていた。後半、土蜘蛛とバトることになる独武者という頼光の家臣との立ち回りが派手で見物なんだ」
朝食を掻き込みながら、竜軌が大まかな説明をしてくれる。
美羽も湯豆腐を摘まみながら頷く。
「俺が主役の僧侶、兼、土蜘蛛の精を演る。独武者は伝兵衛、頼光に仕える侍女・胡蝶は蘭、謡を力丸、千丸にさせる。刀、蜘蛛の糸やら、必要最低限な小物は適当に見繕う」
このあたり、平然として竜軌は言うが、彼が見繕うと言うからにはどこぞから手配するのだろう。
美羽は毬麩の美味しいお味噌汁を飲んで、はて、と頭を傾けた。
気づいた竜軌が問う。
「何だ?」
指紋が残りそうな漆塗りの味噌汁椀を置いて、メモ帳にペンを走らせる。
〝長可さん?次男の。彼は来ないの?〟
「あいつは道楽者の遊び人でな…。西部劇のカウボーイみたいなとこがある。手綱を取るのも面倒なんだ」
竜軌にここまで言わせるとは、相当な人なのだろう、と美羽は思った。
それにしても京都はお漬物が美味しくご飯がよく進む、とも。
また、他にも不思議なのは、竜軌の他に、蘭たちも土地の人々に人気があることだ。
ビジュアルがビジュアルだからというのもあるだろうが、東京にいた時の比ではない。
「蘭様あ!」という甲高い声を何度、聴いたことか。
聖良が知れば気が気ではないだろう、と他人事ながら心配になる。
心配になってそして、この兄弟人気を探検団に利用出来ないかと、またぞろ邪念が鎌首をもたげるのだ。
(伝兵衛さんは難しそうよね。何となく。じゃあ、千丸かしら。でも、千丸も探検団に入るとは言わない気がするわ……。探検団に入る人とそうでない人の違いって何かしら)
むんぐむんぐ、と果物の取り合わせを堪能しながら、美羽は考える。
美羽の疑問の答えは煎じ詰めれば、天然の気の有無、ちょっとぽんやりしている、などが挙げられるのだが、言わばその親玉であるマダム・バタフライには考えが及ばないところであった。
四条河原町近く、高瀬川沿いの木屋町通りと呼ばれる界隈は、京都の中でも若者の集うエリアであり、夜には多少、乱暴な事件が起きることもある。
昼間は普通の顔を見せる木屋町の川間近に、椅子やテーブルを並べたモダンなカフェがある。外に設置された椅子に座り、風が髪を攫うに任せながら、真白は川の流れを見ていた。千鳥柄のコートの袖から出した白い手で、コーヒーカップの把手を掴んだ。
斎藤道三の転生者の情報を掴んだのは昨夜のこと。
(ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず)
鴨長明の『方丈記』。
流れゆく川の流れは、絶えることなく流れ続けているが、しかしながら、今流れているその水は以前に流れていたもとの水ではない。
寒風に身を晒す酔狂な佳人は注目を浴びているが、真白の知るところではない。
(先輩。過去は過去です。今にまで恨みを持ち越せば、果てが無くなってしまいます)
真白はくっきりと青い空を見上げた。焦げ茶の髪がさらりと鳴る。
受け継がれるものがあるとすれば、優しさ、温もり、愛情だけではいけないだろうか。
昏い感情をいつまで引き摺っても、そこに幸福があるとは思えない。
真白も嘗て、前生において家族の仇を討つものかどうか懊悩したことがあるからこそ、そう考えるのだ。前生の大半を過ごした堺が近いせいか、普段より物思いに囚われていた。




