森と竜の謳い
瀟洒な外観の京都市役所近く。寺町御池を南に逸れると、本能寺がある。
境内には織田信長の供養塔も建つが、日頃は閑散として人も少ない。
本能寺の変が起こった当時は、四条西洞院に在った。
そこから北上すれば下御霊神社が鎮座する。
京都御所からは南東の位置。
早良親王など、非業の死を遂げた御霊たちを神として祀り、鎮めている。
本能寺はさておき、下御霊神社には通常の感覚しか持たない人間にさえ、訴える独特の空気が漂う。
それはまるで、「忘れるな」と言わんばかりの。
瘴気と紙一重の神気が、京都のそこかしこに渦巻いている。
下御霊神社から更にずっと北上した、糺の森もまた然り。
糺の森が謳っている。
雪明りさえ灯らぬ無明の闇に。
脈打つ系譜、重なる戦火、流れた夥しき血の有り様を。
今でもまだ声高に。
鱗家の茶室にて、伝兵衛は黙してその音を聴き、千丸は顔を俯けた。
下鴨の旅館にて主君らに合流した蘭は、見えぬ声を探るように天を仰いだ。
兄の横で、力丸は残った右目をしっかり見開き、唇を引き結んだ。
距離を置いた東山区内の宿において真白は瞑目し、そんな妹を剣護は静観した。
最も〝聴く〟耳を持つ巫だけが、しかしその声を聴き流した。
竜軌にとってそれは、益体の無い騒音に過ぎない。とりわけ今は。
下賀茂神社内にある糺の森から宿に入った竜軌は、身に纏う空気を一変させていた。
挙動がせせこましくなるのではない。
寧ろ逆に、より鷹揚に、悠々としている。
超然とした笑みさえ浮かべて美羽を見る。
(狩人みたい)
外は夜の帳が下りて、夜行性の獣が闊歩する時間帯だ。
竜軌も闊歩しに行ってしまいそうだ、と美羽は不安になる。
一体、糺の森で何があったのか。
「りゅうき、」
敷かれた布団に畏まって正座し、美羽はメモ帳に字を綴る。
〝ねえ、どうしたの。何があったの。〟
「どうもしない。美羽」
〝嘘〟
瞳に宿る光が遠い。美羽を的確に捉えていない。彼は別のものに心を奪われている。
竜軌を凝視する美羽の目に、宿の浴衣でない着物を着て、髪を結った男の姿が重なり見える。揺らいで。
(また…)
昔の竜軌の幻影を見ているのだ、と美羽も悟るようになった。
まだ美羽のものでない頃の竜軌。
(どうして?)
竜軌がこんな表情、こんな目を以前もしていた。
まだ、朝林秀比呂が生きていた時。
今の竜軌にはもっと、怖いものが漲っている。
それを書いて良いものかと、美羽は逡巡した。だが、ペンを走らせた。
字は少し震えた。
〝誰かを殺したいの?〟
それを読んだ竜軌から笑みが失せる。
「殺す?」
艶めく低い声には僅かの動揺も無い。
「莫迦を言うな…」
穏やかに諭す響き。
美羽の頬を撫でる手に籠る愛おしさと優しさもそのままで。
「ただ殺すだけでは到底、飽き足らん」
謳うように竜軌は告げた。




