華ももののふ
「雪の鹿苑寺(金閣寺)は美しかろうな」
京都駅を出た蘭は、華やかな美貌を憂いがちにして呟いた。
愁眉も白い吐息も絵になる。黒くかっちりしたロングコートに濃紺のカシミアマフラーという、地味な色合いも美貌を却って引き立たせ、観光客や地元の人間を問わず、女性の視線を集めていた。
しかし隣に立つ隻眼の少年の脳内辞書に、情緒の二文字は無い。
憂いを見つけ出すのも困難だろう。
「成利兄上!鰊蕎麦は何杯喰って良いですか?」
言霊に釣られ、ぽん、と出現するのは神器・清流だ。
「きゃああ」
すぐ近くで彼らに見惚れて足を止めていた若い女性が、突然の日本刀の出現に悲鳴を上げる。
「ははははははマジックが上達したなあ、力丸っ!!お騒がせして申し訳ない、お嬢さん!」
すかさず、蘭が口早に弟と、弟と同じく食い意地の張った神器のフォローに回り、女性に優雅な笑みを向ける。
彼女は赤面して、こくこく、と首を縦に振った。
(聖良さん、これは決して浮気などではなく!)
心中で婚約者に言い訳する兄の気苦労など、力丸には知る由も無い。
「三杯は良いですよね?俺は五杯でも良いのですが、成利兄上の財布が心配ですし!」
「力丸」
「はい!」
「私はお前の将来が心配だ。色々と…」
「俺はタフなので大丈夫ですぞ、兄上」
そこじゃない。
そこは全然、心配してない、と蘭は噛み締めるように思う。
「蕎麦を食べたら下賀茂に行く」
「はい」
堂々巡りになりそうな会話を本筋に切り替える。京都市バスの時刻表を携帯で確認する蘭に頷く力丸の顔も、快活さを残しながら引き締まる。その表情と、左目に走る傷痕をちらりと蘭は見遣ったが、何も言わない。
ハンデを負った弟に、兄として懸念はある。
本人たっての希望と、新庄家における蘭の穴を埋めるのは坊丸のほうが適任である、という理由から、力丸の京都同行を許したが。
心配だ、とは言わない。
力丸にも武士としての矜持がある。
兄と言えど、いや、兄だからこそ、それを傷つけてはならない。
バス乗り場に力丸を先導しながら、蘭は胸に浮かぶ幾つかの言葉を呑み込んだ。
雪を送り出す空は白と灰色、縹色が混じり、見るからに寒々しい。
午後の恵みである燦々とした陽光が遠い。
斎藤道三の転生者が京都にいる――――――――。
それを竜軌から知らされた蘭は戦慄した。
道三の存在にではない。
竜軌の底知れぬ怒りに対してである。
斎藤義龍――――朝林秀比呂への怒りが可愛いとすら思えるほど、竜軌は今や道三を敵視している。完膚無きまでに叩きのめす相手として。
遅れて来たバスに乗り込んだ兄弟は、空席には目もくれず、当然のように立った。
暖房が効いていればそれで御の字。
日々これ、鍛練である。
(経緯を思えば、無理もない)
蘭は竜軌の怒りをそう判断する。
そして彼自身の中にも宿る武士の魂が、殺すも止む無しと訴えている。
(いや。止む無しではないな。私は、自らの意思としても、道三の転生者を殺めたいと望んでいるのだ。もし、彼の男の性根が、御方様を苛んだ境遇を生んだ当時と同じく、変わっていないのであれば。…迷わず砕巌を呼ぶだろう)
こんな自分を知れば、聖良は嫌うだろうか。
雪人さん、と笑って、呼んでくれなくなるだろうか。
ちくり、と胸が痛む。
〝一生、好きです。あたしと結婚してください〟
陽光が遠い。
例え聖良に見限られたとしても、彼女に告白された瞬間の幸福を、蘭は一生、忘れない。




