おとうとだった
「義姉上を頼む」
「承知」
否やは言わず、小十郎は小次郎に任せた。
目は軽やかに駆けるソフトブラウンのコートの背を追う。
小次郎が攻め、小十郎が後衛に当たり薫子の盾となる。
しかしそれは、小次郎の技量を前提にした話だ。薫子は殺気漲る刺客たちに、小次郎が膾切りにされてしまうと思い、止めようと身を乗り出しかけた。しかし、小十郎の長い右腕に阻まれる。
「姫。見ておられよ。伊達十六代が擁した、もう一頭の竜だ」
足捌き、剣筋。細身の体躯を補う身のこなし。
薫子を促しながら小十郎も、小次郎の勇姿を注視していた。
小次郎の倫が弧を描き、一閃すると細かな血飛沫が舞う。
熱い迸りが乗った雪片は瞬時に融け重力に従い落ちる。
倒れる躯より、小十郎はつい、目でそちらを追った。
竹林を背景とした、映画のワンシーンのようだ。
「…小次郎様は、剣術は苦手じゃなかったの?」
薫子の声が驚嘆の響きを帯びている。無理も無い。
「そのように装っておられた。殿と諮って」
「――――――――伊達家を割らない為ね」
「そうだ。名器が二つあると、選び手が迷う」
(…コートの動きにくさもあろうに)
小十郎は長衣の欠点を知るゆえ、くたくたに着倒したコートを羽織っている。柔軟な動きを邪魔されないよう。
対して小次郎のコートはぴしりと糊づけされたおろしたてのように見えるのに、優等生めいた少年の動きは滑らかだ。
正眼。水の構えが多いのは、剣術の基本であるからでもあろうが、やはり一芯の弟だと小十郎は感慨を覚えてしまう。
鋭く流麗な剣筋も一芯に似ているが、一芯の剣にある艶めかしさは、小次郎には無い。
その代わりか、雪水のような清冽さは、或いは成瀬真白――――雪の御方にも通じるのではないか、と思う。小十郎は真白の剣舞を目にしたことが無いので、想像だが。
寒気に血の香が揺らめき立ち上る。
最後の一人は善戦していた。つまり、小次郎が手こずっていた。
斬り結び、真っ向の力勝負では少年に不利。
擦り流すか足技を使うか、小次郎が算段していた一瞬。
相手の男の後ろ首に、びぃん、と音を立て、鋭利且つ太々とした、アイスピックの先に似た銀色が深く突き刺さる。小十郎が懐から出して左手で投擲した物だ。勢いのまま倒れ掛かる男を、小次郎は避けた。
「ありがとう、小十郎」
「いえ」
事切れた襲撃者らに哀切の眼差しを遣り、小次郎は倫に付着した血を振るい落した。
陰謀の主と見なされる畠山国王丸自身は姿を見せず、略式結界は幾多の躯を呑み込んで消失した。小次郎の倫も小十郎の浅葉も闇に帰る。
竹林の小路が通常の空間に戻った。若い女性同士の連れや、カップルがちらほら。
ぺこり、と柔らかい髪が薫子の前で揺れた。
「お久し振りです、義姉上」
「小次郎様……」
あれは確か天正十八(1590)年の春。
豊臣秀吉のいる小田原に、政宗が向かった頃。
愛姫は京都、聚楽第にある伊達邸で、のちに長女となる五郎八姫を宿して身重であった。
そんな折に、赤花火を経由して政宗から密書が届いたのだ。
それには、弟・小次郎に逆心があった為、これを誅殺したと書かれていた。
簡潔明瞭に、さらりと。
とても俄かには信じられず、薫子は文面を何度も何度も読み返した。
〝………これは真か。赤花火〟
〝真でござります。それに伴い、保春院様(政宗と小次郎の母・義姫)は兄・最上義光様のもとに参られました〟
〝逆心…?小次郎様が。莫迦な…〟
のちに顔を合わせた時、政宗に直に問い質しても、返る答えは同じだった。以後、二度とその話はせぬようにと戒められた。
〝妾の義弟でもあられたのだぞ!?〟
〝――――――俺には血の繋がった弟だった〟
その重い一言で、愛姫はあらゆる反駁を封じられた。
「洛中までお供します。兄上にもご挨拶申し上げねばなりませぬゆえ」
慎ましやかに申し出る小次郎は、薫子の知る彼と変わらない。
一芯は政宗の頃より随分と面立ちが変わったが、小次郎は驚く程、面影を残している。
〝――――――俺には血の繋がった弟だった〟
あの声音を思い出すと、迂闊に彼を一芯に逢わせることは、薫子には躊躇われた。




