この竜に触るべからず
美羽に耽溺している竜軌に、旅館側への配慮など無い。
そこは竜軌である。
桐の間に泊まってはるお客さんが夕食の時間になってもお戻りやない、と、旅館の従業員たちが騒がなかったのは、竜軌の前生を知る女将が、心配あらへん、の一言でぴしゃりと従業員らの動揺を鎮めたからだった。
この特殊な土地で、織田信長を前生とする竜軌は妙に信頼があった。
結局、美羽を抱え込んだまま、竜軌は結界内で一夜を過ごした。
美羽が目を開けてもまだ周囲はぬばたまの闇。
けれどその闇が、美羽には母の胎内のように心地好かった。
そして大抵は先に起きて自分を見ている、竜軌の黒い双眸。
「おはよう、美羽」
その言葉でもう朝なのだと知る。
(竜軌の目はすごく綺麗。横暴で乱暴なとこがあるのに、静かな湖みたい)
人の目は見る相手によって変容する。
竜軌の黒く静かで、澄んだ湖のような眼差しを知るのは美羽だけであると、彼女自身は知らない。
どれだけ特別にされているか知らぬまま、竜軌に笑いかける。
愛し合ったあとの少女の唇は艶やかで、細めた目元から匂うような色香がある。
美羽を見ていた竜軌は、細い首筋に右腕を回して引き寄せた。
「美羽…」
呼びかけて唇を舐めると、美羽も舐め返す。
ぺろぺろと、動物のように戯れ、舌と舌で舐め合った。くすくす笑いながら。
「おいで」
抱き寄せられて腕の中に納まると、竜軌はまた、とろりと眠り入ろうとする。
「りゅうき?」
朝ならば、もう起きなくては。
朝食を食べたり、することがある。
鱗家への正式な挨拶もまだだ。
「…寝かせろ…。起こすなよ……したら抱く…」
むにゃむにゃと理不尽なことを言いながら、本当に眠ってしまった。
美羽をがちりと抱えた状態で。
逃れようと動いてもびくともしない。
ふんぬー、と、渾身の力を籠めても無駄だ。寧ろ、回された腕の力が増す気がする。
美羽は諦めて、厚い胸板の上にぽてりと頭を戻した。
瞬きすると、睫が竜軌の浅黒い皮膚を撫でる。
いたずら心が湧いて、ぺろ、と舐める。
(しょっぱい。…起きない…)
更にむくむくといたずら心が湧く。
(え、と、こう、)
唇をつけて吸い、痣を作る。
(よし!)
自分のものだぞ、と印をつけた気分で満足する。
眠る竜が起きるまで、どれだけ花びらめいた痣で彼を飾ることが出来るか、挑戦してみよう、といたずらな蝶々は思った。
竜軌の唇は緩くほころんでいる。




