竜打つ雨
息が苦しい。
呼吸が出来ない。顔が火照る。それでも薫子は一芯を受け容れようと必死だった。
一芯は途中で掛けていた伊達眼鏡を邪険に取り払った。
目がそれまでよりずっと近くなって、睫さえ触れ合いそうだ。
唇は被さり、穿たれるくらいに強く貪られている。
当然声も出せず、薫子はただ目を大きく見張るしかない。
こんな時なのに、一芯の左目の輝きに見惚れる。
今、彼は自分のことしか考えていない。
いや、考えてさえいない。無我夢中なのだ。
戦のことも、領国、領民、家臣のことを慮る立場でなく。
家督の為の後継を望む為でもなく。
薫子一人への熱に押し流されている。
自由恋愛など前生では望むべくも無かったが、政宗に愛されていたことは知っている。
多くの側室がいたことも。
今は薫子だけ。
隻眼の竜が求める存在は。
僅かに、躊躇する空気を薫子は感じた。もうずっと塞がれている唇のあたり。
(何?)
考える間も無く、濡れた舌が忍ばされて動転する。
反射的に暴れようとしても右腕で抱きすくめられて左手で後頭部を押さえられ、身動きが取れない。
「ん、んん、」
口中を竜がとろりと這い回る。水を得た竜は薫子の口腔で躍動した。
あまつさえ、薫子の舌を絡め取ろうとする。力で薫子が拒めよう筈もない。
今まで紳士的に接してくれていた一芯が豹変していた。
やっと口から竜が去っても、まだその隻眼には熱がある。薫子は喘ぎながら名を呼んだ。
「…一芯…?」
「まだ、ダメなの?薫子」
言いながら、薫子の首に吸いつき、吸い上げる。痣を残す勢いで。ぞわり、と薫子の背筋に悪寒と快感が走った。
「やだ、い、しん……っ」
哀願する響きに、一芯がはっと薫子の顔を見る。
彼女は泣いていた。
大きな双眸からぼろぼろと大粒の涙をこぼして。
「――――――どうして、泣くの…」
一芯は愛する少女の拒絶にショックを受けた。相愛の仲と知ればこそ。
「…いっしん…が、死んじゃうから…、」
「―――え?」
薫子は泣きじゃくりながらつっかえつっかえ、答えた。
「貰うまで、は、死なない、…んでしょ…?」
一芯が薫子に囁いた台詞だ。
「…うん」
「あげたら、自分は死んでも良いって思って、あたしを置いて行くんでしょ?」
「―――――――」
「嫌。嫌よ。死なないで、死なないで、一芯」
そういう理屈になるのか。
頭を殴られたような衝撃を受けて、一芯は薫子を見ていた。
その間にも薫子はうわごとのように、嫌だ、死なないでと繰り返して泣いている。
それまでとは異なる手つきで壊れ物のように抱き締めると、ひっくひっくとしゃくり上げながらも、薫子は少し落ち着いた。
「一芯のこと、好き。大好き。あげても良いの。でも、死なれるのだけは嫌…」
「…薫子。ほんとに僕が好き?」
一芯が薫子から明確に好きと告白されたのは、生まれ変わって初めてだった。
「……ん」
仔猫のように濡れた目が見上げて来る。真摯と羞恥の色を宿らせて。
「そっか…。解った…………」
それから二人は抱き合ったまま、口づけだけをかわした。
しんとして典雅な和室にその音は実際より大きく響いた。
積極的なのは一芯で、ついばんだり、深くしたり、薫子はその度に怯んでおずおずと応えたが、それがまた一芯を夢中にさせた。
「ん、く、唇が腫れる」
「そしたら責任持って舐めるよ」
「んん、…、もっと腫れるっ」
「そもそも十六年は長過ぎたんだって…」
言葉を交わす度、唇も交わしている。一芯に薫子を逃がす気は無い。
いつも強気な薫子がめそめそするのを宥め、数え切れない回数キスして、その内、薫子が諸々に疲れて眠り入るまで、一芯は許される範囲で少女を味わった。
青少年の鑑。または反対の鑑だと自分で思いながら。
しかし薫子にうっかり与えてしまった理屈を逆手に取れば、京都から無事に生還すれば薫子を頂戴出来ることになるのではないか。
つまりは生きて家に戻るご褒美が薫子―――――――――。
(言質も使い様だよね…)
腕の中の少女は頬に涙の跡を残して眠っている。
死ぬなと泣かせてしまった。
自分の要らぬ闘争心が薫子を傷つけているのだ。
(佐竹。蘆名。二階堂。畠山。岩城。石川。白河。相馬。最上もどう動くやら解らぬ。…全く、信長公も面倒をしてくれる)
その竜軌に先に面倒を仕掛けたのが一芯な訳だが。
よいしょ、と薫子を抱え直すと栗色の髪が甘く揺れた。
前生からの巡り巡った因果によって一芯は今、愛する少女を腕に忍耐を強いられている。
ちょっと試しに声を張り上げてみる。
「ねえ、こーじゅ。いないの。ぶっしー。僕が薫子のあちこちを触りたくなる前に止めるくらいの忠誠心は無いのー。こんな時だけ放置プレイー?」
返事は当然、無い。
気を利かせてのことと承知だが。
(好きな女性を前にした我慢比べなら僕は天下を獲れる気がする)
しょうもないことを思いつつ、薫子の艶めく唇にまた、ちぅ、と口づける。
これでも欲望に寸止めなのだ。
前生における彼の師匠・虎哉宗乙禅師が見たら「喝」と叫んだかもしれない。
明るく青いモダンの眼鏡だけが、忘れられたように畳の上に佇んでいる。




