焦がれて
美羽たちの荷物を運んでくれた千丸は、天真爛漫を絵に描いたような美少年だった。
顔立ちはすぐ上の兄である力丸にも似ているが、蘭に一番、似ているかもしれない。力丸のような悪童めいた空気が、千丸には微塵も無かった。
にこにこと顔に似合わぬ力で、旅館まで荷物運びの為だけに同行してくれた。
胡蝶の間には華と住み慣れたゆえの寛ぎがあったが、通された客間は時代劇の姫や殿が使いそうな古風な雅と静けさを備え、華美な装飾の無い代わりに御簾が下がるなど格調高い空間だった。
茶室を広くしたようにも見える。
竹の花入れには侘助椿が一輪。
竜軌は部屋に着くなり美羽の目も気にせず洋服に着替え、そのあと、美羽が淹れたお茶を黙って飲んでいた。
遠い視線で。ここではないどこかを見るように。
やがて、何か決着を見届けたように美羽を見る。美羽も今ではとうに洋服姿だ。
「お前さ…」
「りゅうき?」
「同じ部屋で寝る意味、解ってるか?」
(…何が?)
だって、竜軌はクリスマスまでと約束してくれたし。
手を握るだけ。他は触らないで、待っていてくれると。
「仮面ライダーグッズを買ってやろうか」
「りゅうき!」
〝ほんと?〟
「その代わりキスさせろ」
美羽の目に険が宿る。
〝ダメ〟
「ザリガニ。ウーパールーパーではどうだ?」
美羽の目が俄然、輝く。
竜軌が笑顔で紳士的な提案をする。
「一夜、蝶々姫の寵愛を賜りますならば?」
美羽が思い切り両頬を膨らませて手近にある物を竜軌に投げつける。
〝堪え性がないんか、あほんだら竜軌!〟
竜軌が漆塗りのティッシュケースをキャッチする。
「それが男だ!!」
〝開き直んなっ〟
だってまだ竜軌に重なる幻があるのだ。知らない男性なのに知っていると感じる。
両手首を掴まれて力で引き寄せられては抗い様が無い。
黒曜石の双眸が睨むように美羽を見据える。
良い宿だなと一芯は思った。
装飾過剰でなく、ゆかしさと品がある。
もちろん彼は竜軌と同じ旅館だとは夢にも思っていない。それは竜軌も同様だ。
何の因果か、元・織田信長夫妻と、元・伊達政宗夫妻のブッキングが重なった。
宣伝文句に使えれば大層華々しいことになる。使えればの話だが。
一芯は部屋の壁に、近付くな、と言わんばかりに貼り付いた薫子を見た。
「薫子…」
「どうして崑ちゃんに二部屋って言っといてくんなかったのよ!」
「…ごめん」
「一芯の莫迦っ」
とりあえず座らせようと一芯が動けば、薫子は反対側に動き、追い詰められた表情で一芯を睨んで来る。
小動物が懸命に威嚇する様子に似ている。
薫子に誘おうという意図など皆無なのだろうが。
一芯は嗜虐心を必死で抑えようとした。少女の扱いには慣れている筈なのに。
唇を引き結んで。潤みかけている上目使いの大きな目で。頬は紅潮している。
軽い跳躍で、一芯は二人の間にあったテーブルを跨いだ。
降って来た一芯に薫子は逃げ場を探すが。
顔の横、両側にとん、と手を突かれてしまう。
「ごめん。煽られてるようにしか見えない」
「…ってない!」
「知ってるけど、僕にも我慢の限界が」
一芯の顔が近付いて来て、薫子は目を瞑り身を竦めた。
唇が湿った感触に奪われる。
血が逆流した思いで目を開けると、一芯がいつもと違う顔で笑っている。
優しいと言うより。花びらを愛でるより散らすような。
頭をしっかり挟まれて、顔を仰向かされると、さっきとは比較にならないものが降って来た。
熱くて深くて。唇を食べられている。
そう思った。
(一芯。一芯。一芯。一芯)
必死で彼のシャツに縋りついて体勢を保とうとするが、脚ががくがく震えている。
一芯に頭を支えられたまま、畳にずるずるとくずおれた。
眦に涙が滲むくらいになって、やっと呼吸することを許される。
「……は、…ぁ…ふ…っ?」
それで終わらず、一芯はまた唇を重ねて来た。指が今は首筋を這っている。
薫子の思考回路はとっくにショートしていた。
冷静で理性的な一芯が、今は我を忘れていた。
腕の中に薫子がいる。
これまで耐えていた唇が、信じられないくらいに甘い。




