メッセージ発火
小十郎は過不足ない態度で、真摯且つ慎重に薫子を『都路里』に導いた。
このあたりはさすがに、政宗股肱の臣と言える。
四条通の喧噪の中、小十郎の在り様は貴人に対するそれに似ていた。
事実、薫子は彼にとって主君・政宗の嘗ての正室であり、今でも想い人である少女と言う意味において、貴人に相違なかった。
店内に入っても薫子の足元は、まだふわふわとして、頬は熱い。
一芯が別れ際に言った台詞が耳から離れない。
耳たぶに当たった息と一緒に。
と、と、と、とまだ心臓が早鐘を打っている。
昔から、一芯が関わると薫子の心臓は饒舌になる。
よろめくように歩むと、仕立ての良いスーツを着た若社長然とした青年が、気配を察したのか立ち上がり、振り返って薫子に一礼した。
「崑ちゃん…」
隙の無いビジネススーツは、銀の細いフレームとも相まって、如何にも伊達家の経済を裏で支えていた男らしい。現在でも当然のように会社経営に携わっている。しかも傘下に置く有力企業多数。
天正十九(1591)年、百姓一揆を陰で支えた容疑を掛けられた政宗は秀吉に呼び出された。道中で政宗は金箔の磔柱を押し建てて、黄金の十字架を京都の人々に見せつけた。
文禄二(1593)年における文禄の役に集った政宗軍の戦装束の豪華絢爛さから「伊達者」という言葉が生まれたとされるが、金の磔柱にも象徴されるように、陸奥の黄金を押さえた崑氏の力は政宗のパフォーマンスに大いに貢献していたのだ。
「愛姫様。お変わりございませんか。…殿は如何あそばされました?」
崑の隣には成実も珍しく神妙な顔で座っている。
小十郎が奥の椅子に薫子を座らせた。
「…一芯は多分、戦ってるわ。相手は解らない」
男三人の間に窺い合うような視線が走る。
「私が参りましてもお叱りを蒙りましょうな…」
「だな、崑。下手すりゃ敵よりお前や俺の首がちょん、だ。小十郎、てめえもだぞ」
成実の訳知り顔に小十郎も頷く。
「解っている」
主君である一芯の実力に全幅の信頼を置いた臣下たちの言葉だ。
(男は良いわよね。理屈で納得出来るんだから)
腹立ち紛れに薫子は胸の内で毒突く。
八つ当たりだとは承知の上だ。
「殿におかれては無事に戻られましょう。都振りが堪能出来る宿を手配させていただいておりますゆえ、今宵はお寛ぎくださいませ、姫様」
崑が物柔らかに薫子に語りかける。
薫子の心情を思い遣っているのだ。
「……うん。ありがとう、崑ちゃん」
「部屋は十畳一間と、ちと狭うございますが」
「うん。―――――――へっ?」
「…狭過ぎましたか?」
そこではなく。
「一間…?」
「安心致しませ、続き部屋や内風呂も完備してございます」
そこでもなく。
「崑ちゃん、部屋一個しか取ってくれてないのっ!?」
思わず薫子は立ち上がってしまった。周りの客や店員の注目を浴び、慌てて座り直す。
若社長のような風貌が、自分の手落ちなど一切思い当たらない顔を斜めにする。
「夫婦であれば、褥が一つは当然かと…」
「あー、そっか。崑きちは姫が初心で殿がねんねちゃんって知らないからなあ。しゃあねえ!俺が代わりに今夜は殿と姫を可愛がって、」
「殺すぞ、ぶっしー」
成実のいつもの妄言に、割と本気の小十郎の突っ込みが入る。
だが薫子はそれどころではなかった。
一芯に別れ際、耳元で囁かれた言葉。
〝君をちゃんと貰うまで、僕は死なないから〟
急速にその言葉が、現実味を帯びて彼女に迫る。
(これを知ってた訳じゃないわよね。…嘘、心の準備が、まだ)
〝僕は君に触れたこともないけれどそれが本意だと思ってもらったら困るよ〟
(…まだよ。待ってよ一芯!)
薫子は有名な『都路里』のパフェが運ばれて来たのにも気づかず、赤面してパニックになっていた。
(脇差で相手になると思うてか。雪の御方ではあるまいし)
長い論の刃を国宗と打ち合わせながら一芯は思う。
それでも互角に切り結んで来るあたり、義宣の腕と言えた、
まだ様子見の意味合いが強いとは言え、互いに無傷なのは大きな力量の開きが無いからだ。
鮮やかに青い空間の中、同じ色の柄を掴んで間合いを測り、正眼、水の構えを取った。
対する義宣は国宗を振り上げた上段、火の構えとも呼ばれる構えを取る。
(脇差でそれをするのはただの急いた阿呆か敏捷さに自信のある者)
そして義宜の面は平静で、急いた阿呆には見えない。
「ここで貴様と切り結ぶには不本意だ、佐竹の倅」
「おや、親父と比べて俺は振られるか」
「刃を退いてやると言うておるのだ。条件を示せ」
「ふふん、伊達の獣も、時を経て丸うなりおったわ」
義宣が間合いを詰め国宗を振る。
(敏なるかな)
一芯は内心で称えた。
称えながら左脚上段回し蹴りを落とす。首の付け根に寸分の狂いも無く。
仰向けに倒れた義宣が飛びずさる。
「佐竹義宣。名家ゆえにとは言わぬ。貴様も一角の武芸者ならば引き際を知るべし。東北の抗争とて、今や廃れた神話であろうが」
「…今や。お主がそれを申すか。今や、と?魔王に執着する身でありながら。佐竹だけでは済まぬぞ、伊達政宗。蘆名も二階堂も畠山も、お主目掛けて押し寄せようぞ。殊に畠山国王丸の父・畠山義継の首級の目を刳り抜き、鼻と耳を削いで城下に晒したあるまじき無法。国王丸めは忘れておらぬ。廃れたと言い切れるのは、所詮、時代の勝者であった者の申し状よ」
そう言いながらも義宣は国宗を鞘に納めた。
「竜知らずただ見る蛇も在ると知れ」
和歌の下の句のような謎めいた言葉を残し、金髪の少年は結界から消えた。
義宣の台詞を、一芯は平静な顔で流した。
過去の悪逆非道など、今更指摘されるまでもない。
だが義宣の最後の謎かけは気に掛かる。
思い巡らせ、一つの可能性に突き当たった。
(まさか――――――?)
眉根を寄せるが、まずは論を闇に帰す。
定かでない不安材料より、今は薫子に追いついて安心させるのが先決だ。
きっと仔猫のような瞳を不安に揺らがせて待っている。




