「みわ」
「みわ」
高校一年の時、竜軌の耳につんざかんばかりの悲鳴が飛び込んで来たことがある。
〝みわっ〟
痛むかのような錯覚に、思わず耳を押さえた。
気力を振り絞るような中年の女の声だった。
続いて、息を呑むような微かな音。駆ける足音。
まだ力の安定に欠いていた時期には、突如として耳に入る予期せぬ音や声もあった。
その声もそんな数多の一つ、と忘れられなかったのはどうしてなのか解らない。
叫び声がひどく逼迫していたせいもある。
精魂を込めたような、命懸けの。
多分あれは、猟師に撃たれた獣が、息絶える前に子供らに逃げろと呼びかけるような、そんな類の声だったのだろうと思う。
人の世も獣の世も、相似した出来事は起こる。
喰らい、喰らわれるのが世の常だ。
そしてもしかしたら、と思った。
それは一縷の希望のようなものだった。
「みわ」が帰蝶の名前であったならと。
未だ知られぬ今生名であったならと思った。
しかし声の状況には不穏な気配があった。
「みわ」が帰蝶であるとすれば、竜軌が声を聴いた時点で、彼女は危機的な局面を迎えた可能性が考えられる。
帰蝶と「みわ」が無縁なら、恐らく帰蝶は大禍ない人生を過ごしているだろう。
「みわ」であってくれれば良い。
「みわ」であって欲しくない。
心は割れた。
そして、「みわ」であれば、どういう漢字を当てるのだろうと考えた。
――――――――美しい羽。
「美羽」であれば相応しいと思った。