月影清かに XXV
月影清かに XXV
春。
全ての出来事をさらうかのように、匂う桜に風が吹く。
散り急ぐなよ、と願いを籠めて剣護は緑の目で教室から外を見ていた。
真白は今年、陶聖学園中等部から高等部へと進んだ。
中等部より大人びた制服が、可憐な彼女に似合っていた。
年末の一時期、情緒不安定だった真白だが、徐々に調子を取り戻して剣護は安堵した。
(あとはお前がいたらな。…次郎)
その願いに応じるように窓の外からひとひら、桜の花弁が飛来して剣護の肩に留まった。
父も母も、怜の予想通り、彼の宣言に驚愕した。
「―――――どういうことなの、怜。編入するって」
「陶聖学園に行きたいんだ」
「待ちなさい、怜。なぜ急にそんなことを言い出すのか、父さんたちにちゃんと説明しなさい」
怜は透き通った視線を父に向けた。揺るがない眼差しに怯んだのは父のほうだった。
「ごめん」
「謝るだけじゃ解らないわ、こんな、非常識な。せっかく正墺高校に受かったのに…。もう、授業料だって納めてるのよっ!?」
君江はソファから立ち上がって激昂して叫び、わなわなと震えていた。
美邦はその隣で眉間に手を当てて嘆息した。
ポケットから煙草を取り出そうとして、禁煙中であることを思い出したようでまた、嘆息する。彼も取り乱しているのだ。
怜は冷静に両親の姿を見ていた。
二人は怜を宥めたりすかしたりして説得を試みたが、息子の決意を変えることは出来なかった。
祖父の正隆が、経済的な負担は全て自分が負うから怜の意思を尊重するように、と娘夫婦を説得した。
君江はそれでも泣き喚いて怜を詰った。
〝親不孝者!〟
浴びせられた罵声の中では、それが一番堪えた。
正墺高校に一旦は入学したことは、怜の自己満足だ。
最後に両親を喜ばせてから離れようと思った。
(欺瞞と言われても仕方がない)
この先の道にはもう、親の意向は要らない。
恒二も怜を許さなかった。美園と別れた頃から、兄に不審を感じてはいたらしい。
今回に至り、怜への怒りを爆発させた。
怜は恒二に一言も弁明しなかった。ただ、自分に理想を見出していた弟に済まなく思った。
自分でも異質かもしれないと思う。
過去は過去、今は今だ。過去に執着して現状を崩壊させようとするのは愚かな行為、と言う人も多いだろう。
しかし、怜の魂の寄る辺は過去にしかなかったのだ。それを自覚するぶん、怜の今生の家族に対する負い目は募る。美園への罪悪感も。
それらを背負いながら、他を傷つけても焦がれて止まない存在の為に、怜は突き進んだ。
正隆の支援と助けを得て、怜は春から一人暮らしを始めた。
一人になった月影は、だがもう凍ってはいない。
独りではなくなる確信が彼にはあった。
白い手が、天に向けて伸べられている。
焦げ茶の双眸は散り敷いた花びらには向かず、掌と同じく天を向いている。
過ぎ行く春を真白は惜しんでいた。
剣護が風情を打ち破るように彼女の頭を荒っぽく撫でる。
「わわ、」
「ほれ、早く校舎に入らんと遅刻するぞ!」
「うん」
促されて高等部の下駄箱で靴を履き替える。
階段を登ろうとする時、職員室からいつもより大きなざわめきが伝わって来て不思議に感じた。
「何だろな?」
隣の剣護も同じように感じたらしい。
基本の青地にインディゴブルーと茶、グレーの三色がトラッドな陶聖学園の制服に身を包み、赤いネクタイを締め、怜は立っている。すらりとした立ち姿で、購入して間もないジャケットをまるで誂えたように着こなしていた。
転校生として紹介されながら、彼はすぐ教室内に真白の顔を見出した。
―――――間違いない。あの子だ。
心の臓が高鳴る。滑舌の良さを心がけて口を開いた。
「江藤怜です。趣味は護身術。よろしくお願いします」
黄色い歓声が上がる。
温かい焦げ茶色と目が合った。
昔と色は違うけれど、澄んで優しいのは変わらない。
やっと辿り着けた。
帰って来た、君たちの傍ら――――――この晴れた日に。
ただいま。




