月影清かに XXIV
月影清かに XXIV
片肘を畳について寝そべっていた新庄竜軌は、口角を吊り上げた。
彼の耳は、神器を呼ぶ江藤怜の声と、それに応えた虎封の歓喜の声を捉えていた。
(やっと呼んだな…。こほう。虎封、か。良い名だ)
散々に呻く怜の声は煩わしくて仕方なかったが。
(みっともないと思うのは、俺があっさり前生を思い出したからか)
壮絶な最期の割りにさして苦もなく。
(お前が手に入れた記憶は何だ、江藤?)
苦痛に見合うだけのものだったのか。
つい、と目を伏せる。
蝶の声はまだ聴こえない。
怜の高熱の原因は結局、解らなかった。
医師は自分でも得心の行かない顔で、精神的な原因も考えられると語った。
原因は正にその一言に尽きたのだが、母親の君江は好い加減なことを、と憤慨していた。
だが両親はそれまで程には勉強、受験、と怜に対して喧しく口にしなくなった。
年が明けて、中学最後の学期が始まった。
「江藤。何か爽やかな顔してるな~」
休み時間、佐草孝宏が怜の顔を覗き込むようにして、不思議そうに言った。
怜も席に着いたまま、孝宏を見上げた。
「そう?」
「うん。冬休み、入院したとか聴いたから、心配してたんだけどな」
「ああ、もう全然、何ともないよ。――――それより佐草」
「ん?」
「お前のお父さんかお母さんって、島根県の出身?」
孝宏が目を丸くした。
「父さんがそうだけど…、どうして江藤、知ってんだ?」
「いや……」
怜はそれまで以上に好ましい視線を孝宏に向けた。
佐草家は、小野家と親しく付き合いのあった上級神官家だ。
若雪が難を逃れたのは、母の言い付けで佐草家に春の山菜を届けに行っていた為だった。
縁、という言葉を感じる。
佐草孝宏と友人になったのは、宿世によるものかもしれない。
「お前と逢えて良かったよ」
「ちょ、ええ!?何だよそれっ。俺だって正墺高校、受験するんだぜ?自分だけ受かるみたいに言うなよな」
怜は意味を取り違えて苦情を言う孝宏が可笑しくて、声を立てて笑った。
そう。正墺高校には行く。
正墺高校には行くけれど――――――――。
今は暖房の入る図書館の隅で。
怜は美園に言った。
「君との約束を、守れなくなった」
美園は静かな面で尋ねる。
「ピアスのこと?」
「うん」
ピアスは美園が託した将来の約束。それを破る、ということは。
これは怜による、別れの宣告だ。
いつかはと覚悟していたものの、これ程、胸に激痛が走るとは。
怜の面立ちは入院する前より清涼で、今までになかった意思の力が彼の輪郭を強くしている。
「大事な人たちが出来たんだ」
「私より?」
「………」
「…そう。なら、好きにすれば」
美園は精一杯の演技力で、素っ気無く言った。
本当は泣き喚き叫びたかった。けれどプライドが許さない。
今でも恋しく想う少年は優しい。きっと自分を傷つけることを辛く思っているだろう。
その証拠に怜は気遣う瞳で美園を見ている。
「私も好きにするわ。怜のことはすぐ忘れる。すぐ、忘れるわ」
(嘘。大嘘―――――――)
今この瞬間、自分を見る怜の双眸、鼻梁、唇、頬、しなやかな立ち姿も、全てが網膜に焼き付けられている。
美園は身を翻して書架の横を歩いて行く。
込み上げるものを必死に堪えて。
すぐに忘れられるものでないことは、怜も美園も知っていた。




