月影清かに XXIII
月影清かに XXIII
ふわふわと、意識は漂い浮遊する。
浮遊しながら、次郎清晴の魂は、妹・若雪のその後の人生を見守っていた。
ただ一人災禍を逃れた若雪は、父・清連の知己であった和泉国堺の会合衆・今井宗久の養女となりその庇護の元で生きた。
そこで将来の伴侶となる宗久の甥・今井由風嵐と出逢う。宗久の支持する織田信長の為に若雪と嵐は共に立ち働くこととなった。
そうした中、若雪は小野家を襲った刺客の雇い主が同じ神官であった山田正邦であることを突き止める。正邦は小野家の有する御師職と財を強奪する為、清連ら家族を根絶やしにしようと目論んだのだ。
しかし、そんな男にも彼を頼りとする妻子がいた。
若雪は苦悩の末に、正邦の脚の腱を絶つことで御師としての回国を不可能にしてけじめとした。
そして彼女は嵐と結ばれた。
その様を、兄弟の魂魄と寄り添いながら、次郎清晴は確かに見届けたのだ。
泡沫に微睡むようにして。
だが全てを思い出した今でも、解らないことがある。
(俺を否定した父上を、俺は最後の最後で助けようとした)
疎んじていた筈だった。子を道具のように見なす父を軽蔑していた筈だった。
理屈でなく身体が動いたのだ。肉親の情の不思議だろうか。
(父上の、全てが嫌いな訳じゃなかった…。人に大らかでないあの人の在り様が悲しかった。太郎兄を若雪を、三郎を、…俺を、もっと普通に、慈しんで欲しかったんだ)
今思い起こしてもどうなるものでもない、過去の悲哀だ。
遣る瀬無さだけが苦く残る。
朝の光りが病室を白々と明るく染めようとしていた。
吹雪はもう治まり、外は静かだ。
(お前は幸せになれたのだな。若雪…)
良かった。
怜の目は窓に向いていた。
窓の向こうに積もっているであろう新雪に。
「虎封」
懐かしい名前を囁いた。
何も無い空間からベッドの上に黒漆太刀が現れても、怜は驚かなかった。
不思議と心は凪いでその存在を受け容れていた。
半身を起こし、白刃をすらりと抜く。刃に反射した煌めきが虎封の喜びを伝えるようだ。
「…待たせたね……」
刃から無数の煌めきがこぼれた。
「大変だったなあ、怜」
祖父の正隆が見舞いに来てくれた。見舞いの品に南瓜や山芋、羊羹などを持参している。母の君江が連絡したのだろうか。頑なな母にしては柔軟な姿勢だと怜が思っていると。
「美邦くんが教えてくれたんだ」
父の名が出たことで納得した。
「もう大丈夫だよ。熱も下がったんだ」
余計な心配をかけないよう、正隆に告げる。
「そうらしいな。良かった、良かった」
相好を崩した正隆は怜の顔を見て、うん?と不思議そうな声を洩らした。
「お前、少し顔が変わったな」
「―――――痩せたからかな」
「いや、そういうんじゃなくてだな」
正隆が抱いた違和感の理由を、怜は知っていた。
変わっただろう。
江藤怜の人格に、小野次郎清晴の記憶が加算されたのだから。
自分の中身は現代に生きる異形だ。
そして――――――――。
「おじいさん、頼みたいことがあるんだ」
二日後、怜は退院した。




