一つ目竜と女の子 XXIV
一つ目竜と女の子 XXIV
これは据え膳ではない、と一芯は自分に言い聞かせる。
薫子は優しい手にもたれかかっているのであり、一芯を誘ってはいない。
だからそこにつけ込んではならないのだ。
一芯は眼鏡の明るく青いモダンの部分に右手の指を当て、態勢の立て直しを図った。
薫子も自分の我が儘を恥じてはいるらしく、一芯から目を逸らしている。
不安そうにちら、と時々一芯の顔を盗み見ている。
(可愛さの三段重ね!)
漢詩も和歌も嗜む一芯が意味不明な言葉を胸中で叫ぶ。戦場では心の乱れは命取り。国を統治する上でも平常心は欠かせない。
欠かせないのだが―――――――――。
タオルケットの中に頭まで埋没させた薫子が、右手だけを出して一芯のシャツの裾を握っている。
平常心が豆腐になりそうだ。
「………」
一芯は熱の為かほかほかした薫子の右手を掴むと、引っ込められる前にチュ、と唇をつけた。
薫子の手が動揺ですぐさま逃げそうになるのを、手首を掴んで阻止した。
がばりとタオルケットから出た顔は風邪のせいだけでなく紅潮し、口をぱくぱく動かしている。が、言葉は出て来ない。
そんな彼女にいたずらっ子のように笑いかける。
「うちにはちゃんと連絡入れなよ。僕は敷布団を敷いて寝る」
「――――――い、良いの?」
「良いよ。夕飯のリクエストある?」
「一芯が作ってくれるの!?」
薫子の目が輝く。
(そんなに嬉しい?)
「うん。たまにはね。いつも作ってもらってるし。何が食べたい?」
「待って、考える」
まるでデパートのレストランに初めて連れて来てもらった子供だ。
一芯は微笑ましく薫子の思案する表情を見守った。
風邪薬を飲んだ薫子が寝入るのを見届けて、一芯は階下に降り、庭に出た。
今日も容赦ない太陽だ。リビングから庭に出るガラス戸の外に置かれたサンダルまで一芯の素足に熱を伝えて来る。
名を呼ぶより前に、男が庭に滑り込む。柳のようなシルエットに中性的な面差し。だが注視すれば強靭な肉体の持ち主であると知れる。
「こーじゅ。お使い頼まれて」
叩き上げの武人である小十郎を使い走りに出来るのは主君である一芯だからだ。
「御意」
小十郎は従順に買い物袋と財布、買い物メモを受け取った。
「ぶっしーは?」
「五キロ圏内にはいない」
「割と近いね。薫子が風邪ひいてるんだ。喧しく騒がないように言って」
整った顔立ちが疑問の色を浮かべる。
「来るのは良いのか、殿」
「見舞いなら構わない。あいつだって骨の髄まで莫迦じゃない」
「びみょー」
「そこで異論を挟まないでよ。やれば出来る男だって信じたいんだから」
「びみょー」
不服そうな態度を示したものの、小十郎はお使いに出た。
海老は国産、海老は国産、と小さく呟きながら。
(熱は青菜を額に乗せれば引くのに…。『一休さん』でもそう言ってたのに)
その提案がなぜか却下されたのも、小十郎としては不本意だった。




