一つ目竜と女の子 XXIII
一つ目竜と女の子 XXIII
一芯の背中にあった体温が、ずる、と下降した。
「―――薫子?」
振り向くと糸の切れた人形のようにくにゃりと頼りなく少女が折り崩れている。
目は半開きで呼吸が荒い。
一芯はすかさず薫子の額に手を置いた。
高くはないものの、熱がある。水分は足りて部屋は涼しいから熱中症ではないだろう。
恐らく夏風邪。
「薫子」
「一芯。ごめん。何か、あたし、だるくて……」
「自覚ないみたいだけど風邪ひいてるよ。ちょっと抱き上げるよ」
「え。う――――わぁ、」
急に高くなった視界に、怯えた薫子が一芯にしがみつく。
瞬きする間に一芯のベッドに寝かされた。
「体温計とか取って来る。じっとしててよ。起き上がったら怒るからね」
いつになく強い一芯の口調に押され、薫子はこくこくと頷く。
熱を持った顔をベッドシーツに埋めると、冷えたミントのような芳香が鼻腔を吹き抜けるように感じた。
一芯の匂いだ。
生まれ変わっても変わらない一芯の匂いが身体に凝る嫌な熱を払ってくれる。
薫子はそう思って目を閉じた。
再び二階の自室に戻った一芯は、部屋に入るなり不意を突かれた。
熱で仄赤くなった顔の薫子が、大きな瞳で縋るように一芯を見たのだ。
離れていたのは物の三分足らずだと思うのだが、病身には心細かったようだ。
仔猫のように潤んだ目への動揺を落ち着かせようと、一芯は唾を飲み下した。
それと悟られないよう、ベッドに歩み寄る。
「グレープフルーツジュース、持って来たよ。飲める?」
「うん」
「飲んだら熱を測って」
「うん」
一つ一つ、律儀に顎を引く仕草も可愛い。
ジュースを飲む為、起き上がるのを手助けしてやり、ベッドのヘッドボードと薫子の腰の後ろの間に枕を挟み込んで楽な姿勢を取れるようにした。
一芯の細かい気性が長所となる場面だ。
薫子は少しずつジュースを口に含む。
「冷たい」
コップ半ばまで飲み、明らかな喜色が感じられる声に、一芯もホッとした。
体温計は一芯の予想をやや上回る温度を示した。
一芯の反応を窺うように薫子は大人しい。
考えてみれば夏バテのあとに川で水遊びをし、それからプールにも入っている。
体力が回復し切れない内にはしゃぎ過ぎたのだ。
(若い内は無茶をするからな)
まるで老年にある人間じみた一芯の思考だが、前生の歳月が記憶にあるぶん仕方のないことだった。
「薫子。落ち着くまで休んで。帰りは僕が送るから」
「お姫様抱っこはやだ」
「何でさ」
「恥ずかしい」
それくらいの反発をする余力はあるらしい。
「じゃあおんぶするから」
「……重いでしょ。重かったでしょ、さっきも」
一芯は嘆息した。
「あのね、薫子。鎧甲冑、日本刀その他諸々、戦国武将の戦支度が全部で何キロになるか知ってる?」
「…知らない。打掛だって重いわよ」
「どうしてそこで張り合おうとするかな。比較になんないって」
「か、髪の毛だって、莫迦みたいに長いと重石みたいだし、」
「薫子」
名前を呼ぶことで薫子の妙な意地をストップさせた一芯は、今はボブヘアーの少女の明るい髪を優しい手つきで撫でた。
「子供扱いしないでよ」
「一度もしたことないけど」
「じゃあ帰らない」
「――――――は?」
「元気になるまでここにいる!」
「…えっと、待って。薫子。日本語の繋がりが見えない」
それ以上の追及を避けようと薫子はぎゅっと目を閉じた。
病人だぞ、という彼女なりのアピール。
一芯に気遣って労わられ、優しくされるのは嬉しい。
甘い蜂蜜を舐めるように幸福な時間が長く続いて欲しい。
ありそうで滅多にない薫子の我が儘。
病気を盾にしたそれに一芯も滅多になく狼狽えていた。




