月影清かに XIX
月影清かに XIX
遠く微かに、剣戟の音を耳に捉えた小野次郎清晴が虎封を持ち私室から出て来ると、兄・太郎清隆は陣太刀に似た豪奢な金色の臥龍を手にし、既に父・清連と共に構えていた。
「母上が殺された」
「何?」
朗らかな常とはかけ離れた鬼気迫る顔で、清隆が告げた。
「まさか」
彼らの母・若水は武術に優れ、殊に懐剣や小太刀など、刀身の短い得物を操れば夫である清連にさえ勝った。口には出さぬものの、若雪の天賦の才は母譲りであると兄弟は思っていた。
「兄上!!」
弟の三郎が駆けつけ叫んだ時には、黒衣に身を包んだ襲撃者たちが広間に雪崩れ込んで来た。
「三郎、お前は退け!俺たちが防ぐっ」
臥龍で応戦しながら、清隆が今年で十三歳の末弟に命じる。
「なれど、」
「行けっ、若雪を泣かせたいのか!!」
清晴に三郎の表情を窺う余裕は無かった。
彼も黒漆太刀を振るって敵を薙いでいたからだ。
(若雪はどこだ)
左手から斬りつけて来た男に足払いをかけ、その腹を突く。襲撃者は手練れ揃いだった。その上に漲る殺意。命を奪うのに躊躇はない。すればこちらが死ぬ。
「若雪は佐草氏の館だ。母上の使いで」
清晴の気持ちを察したように、清隆が背中の後ろから口早に教える。息が荒い。
斬られたのかもしれない。
乱戦の中、はっ、と虫が知らせたように清晴は正面に向き直った。
三人の黒衣を相手に、押されている父の姿が見える。
「父上っ」
「構うなっ!」
清連は清晴を叱咤する。目は敵だけを見て。
ざしゅ、と肉を斬る音。
清晴の足元に倒れたのは清隆だった。夥しく流れる血が清晴の足をも濡らした。
(太郎兄。兄上。莫迦な。若雪。若雪が―――――)
嘆いてしまう。
清隆は彼女にとって兄であり、密かには夫でもある。
それから清晴は敵を一人斬り二人斬った。多勢相手に奮戦したほうだろう。
父の呻き声を聴いて、対峙していた敵から目を逸らしたのが隙となった。
転がる父に、敵の刃がとどめを刺す。
もう間に合わないと知っていて清晴は駆けようとした。
父の元に。
手が、血でぬらりと滑り、柄を持つ力が弱まる。
何本もの赤く焼けた串のような鋭利が、清晴の身を貫いた。
「あ―――――――――――――――――っ」
十二月二十五日、クリスマス。まだ暗い早朝から、江藤家の人間は長男の叫びに起こされた。
「兄貴!兄貴、どうしたんだよっ!?」
「あ……ぐ、うう―――――――…っ」
怜はベッドの上で痙攣していた。
まるで命綱のようにベッドシーツを握り締める手は、血の気を失って顔と同じく青白い。
端整な顔立ちは苦悶に歪み、額には脂汗が浮いている。
「兄貴っっ」
「怜、怜!どうしましょう、こ、こんな―――――」
母は狼狽え、父は救急車を呼ぶ為に一旦、怜の部屋を出た。
その後、高熱を発した怜は緊急入院することになった。




