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一つ目竜と女の子 XVIII

一つ目竜と女の子XVIII


 遮る物の無い日輪の下、緑と白っぽい岩場が竜のような流れを挟む。

 水は清く、薫子が手を浸すと驚く程に冷たかった。

 遠くに釣り人くらいしか見えないこの渓流を教えたのは、両者の親の前では薫子と一芯の保護者兼引率者役を引き受けた小十郎である。

 傭兵は現代の忍びのようなもので、水場には詳しい。

 小十郎はレンタカーで薫子と一芯をここまで連れて来ると、あとは離れた場所に腰を下ろして二人を見守る姿勢に入った。

 不測の事態が起きても一芯がいる。

 主君の手に余る時以外は出しゃばるまいと彼は考えていた。

 伊達家家臣は今日も成実の足止めに全力を挙げている。


「一芯。水、すごく冷たいっ」


 薫子が久し振りにはしゃいだ元気な笑顔になった。

「こんな山の中の流れならね。…泳がないの?」

 一芯が一抹の不安を覚えて尋ねると、薫子はかぶりを振った。

「泳ぐ!暑いより良いもの。…折角、水着も買ってもらえたし…」

「そうだね。勿体無いよ」

 一芯は二重の意味で頷いた。

 風が涼を運んで来る。

 薫子たちの自宅がある住宅が密集した地域より格段に温度が低い。

 薫子は快適そうに両腕を伸ばして空気を吸い込んだ。

 一芯は無邪気な幼馴染を柔和な顔で見守っていたが、まだ水着に着替えないのかな、と頭の中は先程からそればかりだった。

「じゃあ着替えて来るね」

「うん。そのあとで僕も着替えるから」

「解った」


 薫子は繁みの中に停めてある小十郎が借りた大型車の中に姿を消した。

 アウトドアに慣れた小十郎は、渓流で遊ぶに際して何が必要かを心得ていた。


 薫子が車内で着替える間、一芯は鶺鴒(せきれい)やら翡翠(かわせみ)やら珍しい野鳥を見て時間を潰した。

 長いと感じたのは彼の主観だ。


 車のドアが開く音と同時に一芯は振り返った。

 薫子は青い花柄のセパレーツを着ていた。

 アンダーには小さなフリル。


「可愛いよ、薫子すごく!」


 手放しで褒めた一芯に、薫子は右手で左腕をさすりもじもじと自分の首から下を見回した。

「そう?お腹とか大丈夫?」

「食欲なかったのに何を心配してるの。あとで写真撮ろうね」

「え~」

「一緒に。こーじゅに撮ってもらおう」

 会話が聴こえる位置にはいない筈だが、何となく二人の会話の流れを読んだのか、小十郎がこちらに向けて手を振った。一芯も振り返す。

「…じゃあ。うん」


 一芯はターコイズブルーの水着を穿いて先に川に入った。

 薫子は一芯が入るのを見届けてから、自分も恐る恐る続いた。


 薫子が戸惑っていたのは初めだけで、すぐに水に慣れると一芯にかけたり、流れに潜ったりした。

「薫子、気を付けて。深みに行かないようにね」

「解ってるー」

 薫子は笑ってまた一芯に水をかけた。


 昼はビニールシートの上で一芯の母・春海のお手製ハンバーガーを小十郎と三人で食べた。

 流れに洗われた石をお尻の下でごろごろと感じるのもご愛嬌だ。

 小十郎は酒豪だが引率者としての義務を弁えているのか、缶ビールを呷ったりはしなかった。

置賜(おきたま)を思い出すな」

 一芯が呟いた地名は伊達政宗の郷里だ。

「ああ、胡桃沢、桔梗沢とか笹平とかにもあたしを連れて行ってくれたわよね。…忙しかったのに」

 薫子が済まなそうに下を向く。

「あの土地が好きだったんだ。僕の好きな土地で君とデートしたかったし」

「―――――今でも行きたい?」

 薫子の問いに、一芯は少し考えてから首を横に振った。

「いや…。記憶の中で美しければそれで良い。薫子はちゃんといるし」

「…そうなんだ」

「うん」

 小十郎は会話には口を挟まず、一人川を見ていた。


 午後は薫子から一芯に、小魚を捕まえて、という指令が下った。

 一芯が銀色に光る小さな影を追う間、薫子は浅瀬でぱちゃぱちゃ水と戯れながら彼の様子をじいっと見つめていた。


 自分の為に好きな男の子が頑張ってくれる。

 ささやかな女の子の幸せを薫子は噛み締めていた。

 一芯との遣り取りも、薫子には嬉しかった。


(どうせなら鮎くらい獲りたいな)


 一芯は川底に潜り水を手で掻きながら考えていた。

 薫子の歓声を聴きたい。

 白い小さな泡が無数に光り生じては消え、またどこからともなく浮かんで来る。

 川底の石には緑の苔が生え、貝が張り付いている。

 歩く蟹の姿も見える。


 まるで宮沢賢治の『やまなし』の世界だ。


 ぷは、と顔を水面に出すと、あたりは霧が満ちていた。

 乳白色の世界には薫子も小十郎も見当たらない。


(…山の天気は急変すると言うけど)


 これは妙ではないかと一芯は思った。


 カシャン、カシャン、と懐かしい音がする。

 どこで聴いたものだったか。重そうな金属音。


「殿。俺だ」

「――――…何だ。ぶっしーか」

 一芯の気抜けした声に背後の相手が笑う気配が伝わる。

「姫は御健勝であられるか」

「元気になったけどお前には会わせないからな、特に水着姿の内は」

「御両名、御健勝ならば良い。殿よ。今一度、水に潜られよ」

「何で」

「追うておられたものが手に入るゆえ」

「―――ふうん?発言には責任を持てよ?」

「おう、このそっ首を賭け申そう」

「お前、時代がかった物言いだなあ、今日は」

 一芯が再び川底に潜ろうとした時、水面に奇妙なものが映った。

 何かの力に押されるように水中に戻ると、一匹の大きな鮎が悠然と一芯の目の前を泳いでいた。



「あ、一芯!!」


 水から再び顔を出すと、薫子がにこやかに手を振っていた。

 霧などどこにもない。一芯はびちびちと跳ねる鮎を掴み、ゆっくり瞬きした。


 一芯の期待通り、薫子は思わぬ獲物に歓声を上げた。

 小十郎が早速、塩焼にする準備を始めている。

「小十郎。今日、成実は」

「百キロ圏内にはいない」

「確かか?」

 小十郎は一芯の目を見て頷く。

「GPS搭載男は解りやすくて便利だ」

「ふうん…」

「どうかした?」

「いや。ちょっと幽世に迷い込んでたかもな~なんて冗談」

 霧の中で聴いた金属音は、甲冑の鳴り響く音だ。

 あの世界で最後、水面に映っていたのは刀傷を受けた武者の笑顔。


 人取橋の戦いで死んだ伊達の将かもしれない。

 この川が束の間、有り得ぬ川、幽世へと一芯を誘った。

(僕と薫子のことを気に懸けていた。…顔は憶えておらぬが、良い臣を持ったものだ)


 一芯は左目を閉じた。

「一芯?どうしたの?」

「うん」

 一芯は目を開けずにそれだけを答えた。


 約四百年の時を経て、弱っていた薫子の血肉となる鮎を献上した武者の死を一芯は改めて悼んでいた。



挿絵(By みてみん)



今回は涼しくなる要素を並べ夏休みの特別編仕様にしてみました。

お楽しみいただけたなら幸いです。

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