一つ目竜と女の子 XVI
一つ目竜と女の子 XVI
晩ご飯を食べ終えてから、薫子は隣の佐原家に向かった。
夏とは言えもう暗いのに、まだ蝉が鳴いている。執念深いと思う。以前そのことを一芯に話したら、でも蝉のバイオリズム、活動形態を乱したのは人間だからね、と諭されて薫子は黙ってしまった。
子供じみた面と大人びた面が一芯の中にはある。
チャイムを鳴らすと一芯の父・一誠が笑顔で出た。
「薫子ちゃん、いらっしゃい。一芯が待ち兼ねてたよ」
顔がほんのり赤い。一杯やってもやらなくても、一誠はいつもにこやかで、表向きはへらへらしていても神経質な息子とは対照的だった。
「父さん、酔っ払いは薫子に近付かないで。薫子、上がって」
父を押し退けて、グレーのTシャツに紺のスウェットを穿いた一芯が薫子を手招いた。
そこで一芯は薫子の服装をなにげにチェック。
ちょっとレトロな水玉のワンピースは、両肩で布地が結ばれたデザイン。
明るい栗色の髪の、ぱっちりした瞳の少女の可憐さが引き立つ。
さすがは薫子、と一芯は一人自己満足して笑顔になった。
薫子は唐突に浮かんだ一芯の笑顔の理由が解らず、頭を傾げた。
イングリッシュガーデンとまではいかないが、洋風の洒脱な趣ある佐原家の庭に一芯と薫子は出る。
芝草の上には硝子のモダンな器にセットされた蚊取り線香。
水がなみなみと入ったバケツ。
今は蝉も鳴き止んでいる。
花壇のぐるりを囲んでいた煉瓦の一個を持って来て、蝋燭にライターで火をつけて煉瓦の上に蝋をぽたた、と垂らす。垂らした上に素早く蝋燭を置く。
一連の作業をする一芯の顔を薫子はずっと見ていた。
何かに集中している時の一芯の表情が昔から好きなのだ。
左目に光と意思が凝縮されて輝く。
「あれ。線香花火だけ?」
薫子が一本に括られた線香花火の束をつまみ上げる。
「うん。…薫子、足、も少し閉じて。見えるよ」
「―――一芯のH!」
「忠告する時点で紳士だって。こういうことは男子に指摘される前に気をつけようよ。薫子は案外、無防備だから僕は心配になる」
一芯が言いながら線香花火の先端を蝋燭の揺らめく火につける。
今夜は生温い微風がある。
「暑いね」
そう言って薫子も花火を持ち火をつけた。
パチパチパチ、と小さな火花の拍手が鳴る。
拍手は長く続かず、やがて一つの火の塊に集束して留まり、落ちる。
ローズマリーの繁みがさわと揺れ、オリーブの樹も枝葉を揺らす。
線香花火は時を凝縮させる。
他の花火のように人を多弁にさせない。
一芯は夏の風情を薫子と濃い時間の内に共有したくて、線香花火だけを準備した。
次の一本を取り、新しい火花を見つめる薫子の顔に横髪が数本、かかっている。
動かない睫。
(何を考えてるのかな…)
髪や頬に指で触れると何かを壊しそうな気がする。
「一芯」
薫子が花火を見たまま呼んだ。
「何?」
「ごめん」
「――――――何」
「ごめん」
彼女が謝罪するとすれば一つしかない。
「右目のことなら、事故だ。僕がミスった。君が謝ることじゃない。筋が違うと、もう繰り返し僕は言ったよね?」
「………」
「右目より薫子が大事だ。左目一つでも多くを成し遂げられることを、僕は前生で学んだ。薫子もそれを知ってる筈だ」
「独眼竜でなくたって、」
「…なくたって?」
「………」
俯いた薫子の唇が小さな火の塊を映して艶めく。
(その内君を全部貰うから。気にしなくて良いんだよ)
線香花火がパチパチと拍手した。




