一つ目竜と女の子 Ⅹ
一つ目竜と女の子 Ⅹ
怒れる少女が疾風のように去ったあと。
黒いTシャツ、黒いスウェットパンツの男が一芯の前に跪き、差し出したのは冷えた牛肉一枚。どっしりと重そうで白い脂が縦横に走っている。
「どうぞ、殿」
「こーじゅ。これは何って訊いたが良いとこ?」
前生、伊達政宗の右腕と呼ばれた片倉小十郎景綱は至って真面目な顔だ。性別も国籍も判断しにくい整った顔立ちの青年は微塵も揺らぐことを知らぬげだ。
睫もそよがせず口を開く。
「冷蔵庫にあった、今宵のメインディッシュとなるべきだった佐賀牛のサーロイン」
「うん、そっか。三割引きで母さんが奮発したって言ってた。それで、それをどうぞと差し出す所以は?」
「頬に当てておけば腫れが早く引く。どうぞ」
ずい、と突き出される肉塊を一芯は嫌そうな目で眺める。
「使用後はどうするつもり」
「殿が召し上がる。自己責任」
「他の方法を考えてくれない?」
「残念ながら現在、蛭の持ち合わせはない」
腫れ上がった肉の血を蛭に吸わせる方法を暗に示唆している。
「…国外を傭兵として渡り歩いてどうして原始的方法しか知らないの」
「原始こそ人の回帰するところ。高熱を出した仲間の額に青菜を乗せると一日で熱が引いた」
「………」
「アニメの『一休さん』で学んだ知恵」
「笑うところか唸るところか難しいよ。赤黒い物を僕の顔に近付けるな、グロイ」
「〝赤黒い〟と〝グロイ〟で韻を踏む。さすが」
「漢詩みたいに言うな、狙ってない」
じりじり、と一芯が牛肉に追い詰められていると部屋のドアが開いた。
「どう?小十郎くん。それ一枚で足りそう?まあ足りなくても私や一誠のお肉は譲れないんだけど――――――」
「駄々をこねられて難儀している」
小十郎が春海に向けた顔はあたかも柳の下に佇む悲しげな麗人だった。
小十郎は一芯と遠い親戚だ。
もちろん本名は小十郎ではないが、外国人部隊を流離うに偽名が都合が良いとか何とか言いくるめて、周囲には「片倉小十郎」の名前で押し通している。彼の実の親でさえ本名を咄嗟には思い出せないくらいにその偽名工作は浸透していた。
「こーら、一芯。早く男前に戻りたいならサーロインに身を任せなさい」
春海が、めっ、と言わんばかりに一芯を睨む。
「グロイ!不本意過ぎる言い方しないで、母さん。僕は薫子以外には身を任せないから」
一芯を睨んでいた目が大きくなる。
「え?でもあんた、攻めでしょ?身を任せられるほうを喜ぶ野郎だと母さんはてっきり思っていたわ…。息子の性癖、読み間違ってたかしら」
「俺も同じく。殿の本性、これまさしくSであると」
「事実であっても言われ方でここまで不愉快になると知らされたよ。息の合ったコンビネーションをありがとう」
「ええ~それほどでもないない~。ね?小十郎くん」
「そう、それほどでも」
二人して和やかににこにこ笑い合っている。
次、薫子に会う時までに腫れを治したい一芯は牛肉を渋々、手に取った。べとべとした肉の感触が不快だ。
ぺたり、と左頬に当てると確かにひんやりと心地好い。
「………」
何か佐賀牛サーロインに敗れた気がした。屈辱だ。しかし背に腹は代えられない。
自分がみっともないだけなら良いが、薫子がきっと気にするに違いないのだ。
持って行き方を間違えて怒らせた。
素直に欲しいと言えば良かった。
(ごめんね、薫子)




