月影清かに Ⅹ
月影清かに Ⅹ
「出かけるの?怜」
怜が玄関で靴を履いていると母が声をかけて来た。彼女は優秀な長男の挙動に常に過敏だ。
「うん。おじいさんのとこに」
顔を向けてそう答えると異物を飲んだように母は眉を寄せた。
怜の父方の祖父は既に亡い。
母とその実の父である祖父との仲が円滑でないことは怜も知っている。
祖父の家に行くと告げる度、母親は迷子のように頼りない表情を見せるのだ。
「…体調はもう良いの?大事な時期なんだし、」
「平気だよ。それより母さん、来週の恒二の試合、見に行ってやってね」
「解ってるわ」
包むように笑いかけると、母は目を神経質に動かして頷いた。
あなたのほうを想ってやってるのが不満なの?
無理矢理に形作られた恨めし気な笑みが、そう言っている気がした。
家を出た怜は遣る瀬無かった。
(恒二のほうが良い奴なんだよ、母さん。俺なんかより根が素直で)
愛し甲斐がある息子だ。
〝俺は兄貴のこと尊敬してるし自慢だよ。俺に遠慮とかすんなよな〟
恒二は兄の感じている疾しさを知っていた。母親から得られる愛に劣る自覚に胸が痛まない筈がないだろうに、怜に向かって健気に笑って言ったのだ。
どうしてだろう。
恒二も美園も母も。多くの人間に愛してもらっているのに。
怜の魂は枯渇している。
北風が前髪をサラサラと乱してうるさい。
祖父への土産を買うべく、駅近くの和菓子屋に向かった。
電車に揺られる時間が長くなる程、田園風景が車窓に広がるようになる。
薄曇りの下に流れる緑は灰色がかったもの、暗緑のものが多いが、時に若い緑が目に入るとなぜかホッとするものがある。
芽吹き、育つ色の明るさに安心する。
けれど怜は昔から雪も好きだった。
美醜を問わず隈なくまっさらに覆う。
潔癖の白。清廉な白はあの少女を思わせる。




