月影清かに Ⅵ
月影清かに Ⅵ
確たる形を持たず茫漠でありながら、たゆたう意思があった。
神器は主にその存在を認識され、名を呼ばれて初めて顕現することが出来る。
嘗て黒漆太刀として在った虎封は、今は思念の残滓に過ぎない。
彼の主はまだ彼を思い出してはいない。
虎封はひたすら己が名の言霊が空気を震わせる瞬間を待ち望んでいた。
小野次郎清晴、今生では江藤怜と名乗る主が、自分を呼ぶその瞬間を。
怜の右脚が弧を描き、ど、と音を立てた。
中段回し蹴りを長方形の防具で受けた男が評する。
「軽い。振り回すな、体重を乗せろ。落とし込む要領だ」
「はい、」
スウェットのような動きやすい上下を着た怜は、再び半身で構え右脚を後ろに引く。
旅行代理店などが収まるビルの三階、格闘技教室が開かれている広い一室では、他の生徒たちがめいめい自主トレに励んでいる。
「――――今のは良かった、あと五回」
「はい」
下手な蹴り方をすれば自らの脚をこそ痛めてしまう。怜は慎重に脚をしならせた。
慎重に、だが無心でなければ余計な力みが生じる。
最後の蹴りは受けた師匠の身体を揺らした。
「うん。次は左。…どうした?」
「いえ、形は右のほうがマシなのに、左で蹴るほうが重みが増すのが不思議だと思って」
「利き足でないほうが純粋に力を乗せやすい。武術は芸術とは違うからな。見て形の綺麗なほうが強いとは限らない。しかし往々にして、極めた者の動きほど見ていて清しい。君はそう成り得ると思うよ。何を悩んでいるか知らないが、がんばんなさい」
「――――――はい」
武道の達人は人の内面も見透かすらしい。
怜は左脚を僅かに引くと、風を切った。




