月影清かに Ⅲ
月影清かにⅢ
足元を見ると、誰もいなかった。
怜は群青の虚空に独り佇んでいた。
昔は近しい誰かが、自分よりも高みに立つ慕わしい人たちがいた気がする。
けれど記憶の海を探っても浮かび上がる名前はない。
「新庄りゅうき?」
「そー、陶聖学園のボス猿ー」
「あいつ、調子ぶっこいてんだよ」
「親が政治家だからってなあ」
学校の昼休み、聴いた名前は初めてのものではなかった。
以前から時々、耳にしていたが親が政治家とまでは知らなかった。
(放蕩息子か…)
「芸能人みたいな名前だね」
当り障りないことを言う。
同学年の男子たちがわざわざ他クラスの怜を訪ねてまで、「新庄りゅうき」を絞めてくれ、と頼みに来たのだ。
「名前からしてふざけた野郎だよ、女、盗られた奴もいるんだぜ」
「無理矢理?」
「――――じゃ、ないけどさ」
それでは個人の自由意思だな、と怜は思う。
「お前らさ、江藤を意趣返しに巻き込んでないで勉強しろよ」
佐草孝宏が横から助け舟を出してくれる。
「るせーな、佐草には言ってねーよ」
「この時期に他校の生徒と喧嘩することがどれだけやばいか、お前らだって解ってるだろ」
「…それは、」
そうだけどさあ、と彼らの声は尻すぼみになった。
「江藤君。ちょっと良い?」
前期生徒会長・高倉美園の高い声に、怜に群れていた男子たちが一斉に振り向いた。
「助かったよ」
「思ってもないこと、言わないで」
窓から差し込む光に埃がちらちらと舞う図書室の隅で、才媛の誉れも高い美園は怜の謝辞を一笑に付した。す、と顔を近付ける。瞳がいたずらっぽく輝いている。
「自分一人でどうにでもなったって思ってる癖に」
「思ってないよ。俺だって万能じゃない」
「そう?」
甘い香りと吐息。
望まれるまま、唇に唇を合わせると細い腕が首に絡みつく。
「あいつら、江藤君への妬みもあって、けしかけてたのよ。情けない根性してるわ」
「知ってるよ」
怜が微笑むと、美園は臆したように止まった。
「ありがとう」
耳の横で囁き、美園の耳の後ろに右手を添えると、美園が目を閉じた。
「今日、うちの家族、皆、遅いの。…来てくれる?」
「うん」
「たまには乱暴にしてよ」
「出来ないよ」
「してよ…」




