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月影清かに Ⅱ

月影清かに Ⅱ


 中学の校門で、生徒指導の教師が下校する生徒たちを観察しながら挨拶している。

 威圧感のある教師に、怜は自ら声をかけた。

「先生、さようなら」

「お、江藤。もう大丈夫なのか、体調は?」

 いかつい顔が懸念も交えて和む。

「はい。ご心配をおかけしました。ちょっと、寝不足だったもので」

「無理しちゃいかんぞ。お前なら、今のままの成績で余裕で正墺(せいおう)高校に受かるんだからな。身体壊しちゃ元も子もないぞ」

「解っています」

 教師の太い眉が八の字になった。ジャージを着た、同じく太い腕を組む。

「江藤が解ってるのは俺たちも解っとる。知った上で限界を平然と超えようとしそうなのが心配なんだよ」

 怜は返す言葉がなくてこめかみを掻いた。

 校門を出て行く生徒たちが怜たちにちらちらと視線を投げている。


 家に帰って携帯の着信を見ると佐草や他の男子生徒、女子生徒の名前があった。

 怜は綺麗な眉宇を曇らせて私服に着替え、彼らに返信してから受験勉強に取りかかった。


 今は血の臭いはしない。


 不可解。自分で説明のつかない事象が怜は嫌いだった。襲い来る歓迎すべからざる夢、幻の定かな所以を知りたいがその方法すら解らない。


 そこで怜は思考を切り替え、高校受験で頭を埋めることにした。

 痛みを切り取り置いて、淡々と物事の進行を図る。

 中学の人間の一部が、そんな怜を「人間離れしている」と畏怖しながら囁いているのも知っているが、どうでも良い。


 シャーペンをノートに走らせながら、怜は体育館で昏倒する前に脳裏をよぎった少女の顔を思い浮かべていた。

 一方で数学の方程式を応用して問題を解いている。


 雪のように色の白い、綺麗な顔立ちの少女は自分を「次郎兄」と呼んだ。


 次郎兄。次郎。


 一般に照らし合わせて考えれば、「次郎」は次男に与えられる名前だ。しかし怜は江藤家の長男であり、弟が一人いるのみだ。

 それでも「次郎」という響きがなぜだか懐かしかった。


(あんな女の子、見たことがない)


 幻に見た少女は顔の造作だけでなく、纏う空気が浮世離れしていた。古風な着物を着ていたからという問題ではない。

 生身の人間とは一線を画するような清らかな少女は、恐らく「次郎」の為に泣いていたのだ。


 数学の難解な問題に正答した怜は、もっと難解な欲求に直面した。

 少女の正体を知りたい。

 我欲に乏しい怜には極めて珍しい感情だった。


 部屋のドアがノックされる。

「どうぞ」

 弟の恒二が顔を出す。

 怜に似た顔にはやんちゃな荒さがある。

「兄貴。倒れたって?」

 怜は苦笑してしまった。シャーペンをコロン、と置く。

「ああ。みっともないことした。入れよ」

 恒二は心配と喜びを面に浮かべて怜の部屋に入り、床に座り込んだ。まだ制服姿だ。

 汗と土の匂いが暖房で暖まった室内に香る。

「もう平気なのかよ」

「そうでなきゃ勉強なんてしないよ。部活の調子は?」

 恒二がにっと笑う。

「決めてやったぜ。ロングシュート」

 怜も顔をほころばせた。

「すごいな。お前、サッカーが向いてるよ」

「うん。野球と迷ったけど、サッカーのが髪型も自由だしな」

 一頻り、スポーツの話で盛り上がった。

「…恒二。俺が倒れたこと、母さんたちには言うなよ」

「解ってるよ。救急車、呼びかねねえもんな」

 恒二は肩を竦めて冗談を言った。

 冗談に終わらない可能性があるところが、彼らの母の怖さだった。

 勉強の成績至上主義である怜たちの両親は、優秀な長男に過大な期待をかけている。特に母親の怜に寄せる信頼と愛情は怜自身に息苦しい程であった。

 屈託ない笑顔で自分を慕ってくれる恒二に対して、怜はある種の疾しさを感じていた。

 怜がいる限り、母にとって恒二は「その次」の存在でしかない。


「恒二。スポーツ選手目指すなら、コーラばかり飲むのはよせよ」

「うるせえなあ」

 口では兄にそう返しつつ、恒二は嬉しそうだった。




挿絵(By みてみん)





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