月影清かに Ⅰ
この作品は本編にも初期から登場する、江藤怜、成瀬真白の前生における兄が主人公の物語です。
彼が記憶を取り戻すに至った経過などを記載しております。
月影清かに Ⅰ
バスケットボールが、夜空を移動する満月のように周囲には見えた。
月影清かにゴールへと吸い込まれる。
中学三年生の怜は3ポイントラインの外から、その軌跡を熱は無いが冴えた目で追っていた。
ぱさ、と網目を満月が通り抜けると試合終了の笛と女子たちの黄色い悲鳴が響き、歓声とジャージ姿の男子生徒たちが端整に佇む彼を囲んだ。
「すげえすげえ!!」
「今日は江藤のチームでラッキー、ついてるぜっ」
「お前決め過ぎ、ムカつく野郎だよ」
体育館の中でいずれも好意的な声が反響する。
ただ微笑を返す怜に、違和感を覚えた一人が言った。
「おい、江藤。顔色、悪くないか。汗ばんでるし…」
「バスケで散々、走り回ったあとだぞ。汗くらい出るだろ、江藤も」
「バスケだろうがサッカーだろうがこいつ、いっつも一人で涼しい顔してんじゃん。大丈夫かよ」
反論した男子に反論を返し心配顔の佐草孝宏に、怜は平気だと告げようとした。
最近は寝不足で、悪寒を押して体育にも臨んだので実際は調子が乱れていたが、他人にはそうと悟られたくなかったし心配をかけるのも嫌だった。
怜の性分は人に優しいとも冷たいとも言われる。
けれど開いた唇は半ばで凍りつき、孝宏の懸念を解くことは不可能になった。
寒い冬。
窓を閉め切っても、天井が高くて広く、四方の壁が外気と接した体育館の温度は教室より低い。
しかし、怜の唇を凍らせたのは冷気ではなかった。
(血が臭う)
赤い花びらの幻影が舞う。
刀の柄を掴む掌が血でぬめって滑る。
襲撃者たちにはまたとない好機――――――――。
寸刻が命の分かれ目と心得よ、と言った父は先に骸と果て転がっている。
むせ返るような血の臭い、臭い、臭い。
刃が閃く。
烈しい閃光に目をあらん限りに見開く。
絶叫すら出来ず、怜は体育館の床に昏倒した。
「江藤――――――――!」
鼓膜を叩き殴るような声に、大丈夫だ、と言おうとした。
〝次郎兄はなぜそうなのです〟
脳裏をよぎる、目を赤く泣き腫らした少女の面影はとても懐かしかった。
そして怜の意識は闇に転がり込んだ。
受け止めてくれるゴールポストはどこにも無い。




