空を舞おうと竜が呼ぶ
空を舞おうと竜が呼ぶ
再び眠りに落ちた美羽を、竜軌は見ていた。
振り払われた右手を見る。
こんなことが昔もあった。
まだ帰蝶が、心に固い鎧を纏っていたころ。
婚礼の夜、帰蝶は信長を拒絶した。
政略結婚で嫁いだ女が夫を拒む。
それはあってはならないことだった。
そんな覚悟もなくやって来た、甘やかされた娘なのかと呆れた。
やがてその事情を知り、信長は帰蝶の拒絶を許した。
信長と帰蝶が夫婦の契りを交わすに至るまで、数年の歳月を要した。
傷ごと引っくるめて、信長は帰蝶を包んだ。
美羽が目を覚ますと、既に夕方だった。簾の向こうから暖色が滲んでいる。
竜軌の背中は変わらず窓際にあり、美羽はホッとした。
もぞもぞと布団ごと彼に近付いて行くと、竜軌がその気配に振り向いた。
「美羽」
立ち上がり、彼のほうから歩いて来てくれる。
着替えが面倒だったのか、まだ令息然とした格好だ。
(王子様みたいだけど、竜軌の性格には似合わない)
丸くなって寝たまま、彼の身体に子供のようにくっつく。
少しずつ恐怖が解けてゆく。
美羽は震える息を吐いた。
竜軌は黙ってそのまま座っていてくれた。
そろりと手を出せば当然のように握ってくれる。
ガサガサしてゴツゴツして、少しも滑らかでない無骨な手に安堵する。
「美羽。お前、旅は好きか」
不意の質問に考え込む。
うんと昔、家族で行った旅行がどんなものだったか、余り思い出したくない。
「遠からず、俺は日本を出る。日本を出て世界を巡る」
いかにも竜軌らしい、と美羽は思った。悲しみと共に。この美しくて奔放な生き物が、小さな島国に納まり切らず外界に出て行くというのは、とても理に適ったことだと感じる。きっと素敵な写真をたくさん撮るのだ。日本でそれを見ることは可能だろうか。頼めば竜軌は写真を送ってくれるだろうか。それとも面倒だと断られるだろうか。
「お前も来い」
思いがけない言葉に美羽が見上げた先には、黒い瞳があった。
「嫌か?」
首を横に振る。
「俺がいてやる。お前は振り返らず先だけ見てろ」
これを蝶は蜜と思うだろうか。
竜は考える。




