餞別と説明
餞別と説明
新幹線に乗ってから、美羽は車窓の景色や竜軌を見ることなく、菊の花束を竜軌に預けて木の持ち手がついた黒いビロード地のバッグから取り出した漫画を読んでいた。
竜の熱波攻撃を避ける態度だ。
竜軌は面白くなかった。手を握ろうにも美羽の手は漫画本にひっついている。
「美羽。それはどんな話だ?」
答える他ないように、水を向けてみる。
美羽はハッとしたように竜軌を見て漫画を閉じ、メモ帳とペンを手に取った。いつの間にか熱中して読んでいたらしい。
〝金を掘ったヤツに金持ちはいない!〟
「…何だって?」
〝金鉱の近くにある需要に目を向けてインフラを提供した人が稼げるんですって〟
美羽の目が好奇と知識欲にきらきらしている。
「お前は一体、何を読んでるんだ」
〝「インベスターZ」っていう本の2巻よ。荒太さんが貸してくれたの。真白さんは「人形の国のアリス」を貸してくれたわ〟
蘭が荒太から言付かったと美羽に渡した本だ。
「アリスのほうだけ読んでろ」
〝でも面白いのよ、これ〟
そこで美羽は、あ、という顔をしてバッグの中を漁った。
取り出した四角い粉薬入りの一包と思しき物を、菊の花束を膝に置いた竜軌の右の掌に載せる。
補中益気湯と書いてある。
「何だこれ」
〝飲みなさいって。このメモを渡せって入ってたわ〟
折り畳まれたメモ紙を受け取り、開く。
〝補中益気湯の効能:精子の数や運動率の改善
併せて美羽さんには温経湯と当帰芍薬散を渡してある。
温経湯:生理不順、不妊治療に昔っから使われてる
当帰芍薬散:ホルモンバランスや全身の血行を良くする
妊活がんば(笑)〟
無性にいらっと来た。
特に最後の(笑)は、面白がってるとしか思えない。それでもちゃんと必要に応じた漢方薬を寄越して来るあたり、さすがと言うべきか否か。
「お前のほうに説明書きは無かったのか」
〝あったわ。コウノトリを呼び寄せるお薬だって〟
「………」
間違ってはいない。
ふう、と我知らず溜め息を吐いてしまった。
「りゅうき」
「ん?」
単純だが美羽に名を呼ばれると嬉しくなる。漫画からこちらに意識と顔を向けてくれたのも嬉しい。本当は美羽の意識の根本は、ずっと自分に向いていたと知るものの、放っておかれるのは素振りだけでも寂しいのだ。
〝三左さんっていかにも蘭たちのお父さんだったわね〟
そっちへの興味か、と多少、肩透かしを食うが、気を取り直して頷く。
「蘭たちが俺に仕えるようになったのも、元は三左を雇ったのが始まりなんだ。上等の刃物の産地である関という土地の事情に明るくてな。武勇の男でもあったが…ちょっと難しい戦で死んだ。長男、つまりは蘭たちの一番上の兄もな。そいつは今は鱗家にいる」
美羽が意表を突かれた顔になる。
〝文子さんの実家にいるの?〟
「ああ。向こうで逢うだろう。茶道の名人でゆかしい奴だ」
〝竜軌がいらないって言ってた、ながよしさん?や、むこつさんって?〟
「長可は次兄。鬼武蔵とも呼ばれた猛将…、パワフルな男だ。無骨は人ではなくそいつの得物、神器の名だ。三左の遺品であった十文字槍。関兼定の逸品だが、敵に骨あるを感じさせないその威力ゆえか、いつしか人間無骨と呼ばれるようになった」
〝砕巖よりパワフル?〟
竜軌は口元を笑ませた。
「パワーの質が違う。砕巖は硬きを斬り貫くが、無骨は硬いも柔いもお構いなしでな。こんにゃくだろうが幽霊だろうが、相手のリズムを即座に把握してすっぱり行く。名の通り、骨の無い相手でもお構いなしなんだ―――――どうした」
睫を伏せた美羽を竜軌が覗き込んだ。
〝私、何も憶えてないわ〟
「気にするな。前生から、俺はお前をなるべく荒事より遠ざけていた。花鳥風月ばかりを見ていれば良いと思って。そうしたのは俺だ」
『インベスターZ』2、三田紀房、講談社より
『人形の国のアリス』萬里アンナ、小学館より
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