どうせなら
どうせなら
夕食前、竜軌は美羽の摂取に勤しんでいた。
と言っても闇雲に触れるのではなく、美容室でカットしたばかりの黒髪に、チュ、チュ、とキスしているにとどまる。
腰までうねっていた美羽の髪は、横から段を入れられ、背の半ばにつかないくらいになった。美容室には竜軌も同伴したので、とろりとワックスの艶に光るクリーム色の床に散乱した髪の毛を、惜しむ眼差しで見たが口は出さなかった。その道のプロを尊重するのは彼の流儀である。
整髪料の香りが鼻腔をくすぐる髪型に限らず、慣れてみると今の美羽も悪くない。
何せちょん、と指先で突くだけでぴょい、と跳び上がるように反応するのだ。
息を吹きかけたり顔を思わせ振りに近付けると、紅潮して目をきつく瞑り顔を逸らせる。
頬に舌を這わせようものなら一気に一メートル、後退して双眼を潤ませ懇願と怒りを内包した色を竜軌に見せる。
面白い。
弱さとそれを補おうとする強さが引っ切り無しに舞台に飛び出す役者のようだ。
混ざり合った絵の具が、少女のかんばせに置かれている。
その複雑さ、美しさの妙に竜軌は惹かれる。美羽はまだ、自分の知らない顔を幾つも持っている。生きている内にその全てを見尽くしたいと思った。
(…しかし鑑賞するに終われないのが男だな)
美術館での芸術鑑賞ではないのだ。温かく、生身の、惚れた女が刻々と変化する夕映えのようにして傍に在る。強く恥じらいはしても、竜軌から遠く離れ去ろうとはせず。
「…美羽。おいで」
そう声をかけると一歩、一歩、と座ったまま膝行して来る。抗わない。
「手を出せ。握って」
差し伸べれば、重ねて来る手の甲にくちづけて美羽の驚きと震動を楽しみ、身体の底から訴えて来る疼きに捩じれそうな胸を宥め慰めようとする。
どうせなら、この遊戯を逆手に楽しんでやろうと竜軌は決めた。




