マヨネーズ瓶に見る図式
マヨネーズ瓶に見る図式
ずいと差し出されたマヨネーズのガラス瓶を見た荒太は、眉間に深い皺を刻んだ。
不快だった。その不快感を具体的に言い表すなら西高東低、冬型の気圧配置だった。季節にはフィットしている。
マヨネーズ瓶の中には一円玉がみっしり詰まっていた。
「これ両替してくれよ荒太!お前、口の端っこに米粒ついてるぞ三つ!」
玄関で剣護に笑顔で指摘され、荒太は手で顔の下半分を撫で回した。丁度、真白の作った「おむすび」を五個、平らげたところでこのお邪魔虫が来たのだ。しかも用件がふざけている。
靴箱の上にはオパール釉のかかった白い浅めの鉢に、黄色のグロリオサと遅咲きの淡紫色の枸杞の花をつけた枝が活けられて、広くない空間を華やがせている。真白の手によるものだ。荒太は枸杞の果実酒も拵えている。そうした甘い夫婦生活にずかずかと上がり込んで来る緑の目ん玉野郎は苦い存在でしかない。自分の抱くマイナス要素満載な思いの一切を意図的に全面的に表情に晒して答える。
「俺、両替屋じゃないんで。郵便局か銀行に行ってください」
「それだと面倒臭いじゃん。千円以上はあると思うんだ」
「俺が面倒臭い」
「頼むよ、京都行きの費用を割り増しさせたいんだ」
「だから費用は俺が持ちますって。おむすびが冷えるっいや何でもないです」
「おむすび?お握りがあるの?俺、ちょっと腹減りなんだけど」
剣護がにょー、と首を伸ばす前に荒太が目隠しするように立ち塞がる。
「ないです、もう全部俺が喰いました」
「ちぇっ。だってお前がくれるの必要経費だけだろ?お駄賃だってどーせケチるだろ?京都って良い居酒屋さんが多いと思うからさ、そんな店にしろを連れてってやりたいんだよ。したら金がかさむし。金なら新庄、小金ならお前って図式が俺の中にはあんだよ」
「ムカつく図式…。動機も不純だ、とっとと帰れ」
そこに真白が顔を出した。彼女は今、生まれて初めて「おむすび」を作ることに成功を収めて機嫌が良かった。
「剣護!」
「真白!」
感動の兄妹再会である。
いつも以上に優しくほころぶ妹の顔に、剣護の顔も明るくなる。一円玉が詰まったマヨネーズ瓶を無意味に上下に振るとジャカジャカと賑やかにガラスが音を発した。平静でいられないのは荒太だ。
「どうして出て来るの真白さんっ、今からでも遅くない早く戻って戻って緑の眼球から姿を隠してっ!!」
「良いじゃない荒太君、剣護、剣護、私ね、おむすび作れたのよ?食べてって!あ、次郎兄も家にいたら呼んで来て!たっくさん作ったの、作れたのっ」
常には荒太の意向を尊重する真白だが、今は自分の快挙にはしゃぐ気持ちが勝った。
子供のように頬を紅潮させて剣護に報告した。剣護もぱあ、と破顔する。
「おお、すっごいじゃん、やったなあ、しろっ!次郎は携帯で呼ぼう。んじゃ遠慮なく、おっじゃまっしまあーす」
ジャカジャカ、という音に荒太の絶叫が続いた。
「お邪魔するなあああああ」
お腹一杯、愛しい妹の作った「おむすび」を食べた剣護は、うつらうつらと舟を漕ぐおばあさんの隣に座っていた。ピコーンと機械音が響いて、掲示板の数字が変わる。
「六十六番ー、六十六番の番号札をお持ちのお客様ぁー、」
呼び声に顔を上げた剣護は手に持つ紙切れの数字を確認して、椅子から立ち上がった。
ジャカ、とマヨネーズ瓶が鳴く。おばあさんがふと目を覚ました。
まだ人の少ない午前中の郵便局の窓口で紙切れを渡すと、ずっしとそれを置く。
「あの…」
「これ、両替してください!」
「通帳はお持ちでしょうか?両替は出来ませんがそちらに入金なら可能です」
「持ってます、持ってます。俺が数えたところでは、千七十七円ありました!百円玉が二枚、五百円玉が一枚あったんですよ。あと五円玉と十円玉が一枚ずつくらいかな」
「こちらでご確認しますのでお待ちください」
「はい」
剣護は入金された通帳を見てにんまりした。
増えた金額は千七十八円だった。剣護が数えたより一円、多かった。やはりプロに任せるものである。
(これで真白に京都で美味いもんとかキレ―なもんを買ってやるんだ。でもその前に今晩の肴にする厚切りビーフジャーキーを買おう。ほぐれる旨さ!食べやすさアップ!なやつを。あれ高いんだよな)
剣護は鼻歌混じりに郵便局をあとにした。




