白桃
白桃
〝愛。愛姫〟
伊達政宗の正室・田村御前愛姫は「目の中に入れても痛くないほど可愛い」ところから愛姫の愛称で呼ばれた。
天正五(1577)年、梵天丸は元服して名を藤次郎政宗と改めた。
田村郡三春城主・田村清顕の娘・愛姫を娶ったのはその翌々年、天正七(1579)年霜月も末のことだった。政宗十二歳、愛姫十一歳。
伊達・田村、双方納得ずくの政略結婚だった。
清顕には愛姫の他に子が無く、一人娘の縁組に条件をつけた。
政宗と愛姫の間に産まれる子を田村家に養子として貰い受けたい。
田村と組めば伊達家は芦名・佐竹氏ら強力且つ厄介な敵を増やすことになる。
坂上田村麻呂を祖に持つとされる名門・田村家から持ち込まれた話とは言え、難問だった。伊達にとっては苦慮のほうが勝る。
父や重臣らが困じ果てている中、それを尻目に政宗は田村家の使者に独断で祝言を約束して周囲を驚かせた。
強敵を恐れて何が成せようぞ。
政宗の若い体躯と頭には、五歳のころから教えを受けていた禅僧・虎哉宗乙や槍の師範・岡野助左衛門春時らによって培われた胆力と、氷の刃のように冷えた思考が既に粛々として在ったのだ。
そのようにして迎えた自分よりも幼い妻であったが、政宗は愛姫を大事にした。
強気であろうとしながら時折、心細げに揺れる大きな瞳を見ると、己が彼女を慈しまなければならないのだと義務のように思い、どんな娘が来ても構わないと考えていたもののこのような姫で良かったとも思った。
〝愛姫〟
愛称で呼び続け打ち解けて笑ってくれるようになるまで一月近くかかった。
米沢城内の庭を手を引いて歩いたりした。それを見た政宗の父・輝宗からは失笑を買った。
政宗に打ち解けた愛姫は無邪気な少女だった。政宗の顔を見ると笑みこぼれ駆けて来る。
寝床の中でも健やかな寝息を紡いだ。月明かりが照らし出す頬は白桃のようで産毛が銀色に光っていた。
政宗は喜びながらも困った。
幼い妻との間にいずれは子を作らねばならないのだが、愛姫にはまだそうした自覚や責任感が芽生えていないようだった。彼女の父・清顕は、或いはその妻は、娘に何も教えず婚家に送り出したのだろうか。
隻眼ではあるが健全な肉体を持つ若い政宗は、愛姫に触れたくても触れられない日々を悶々として過ごした。気は強いが臆病な面も持ついたいけな愛姫に、荒っぽいことをして嫌われたり泣かれたりするのは嫌だった。
子兎のような目が涙で潤むと想像すると、それだけで政宗の心の臓がきゅう、と縒れるようになるのだ。
月明かりの照らす白桃を左目で拝み続けた。




