山巓に燃える
山巓に燃える
「シャットダウンするっ!!」
黒いフレームの遮光グラスをかけてノートパソコンのキーボードを打っていた竜軌が突然、そう宣言したので、美羽は調べ物に疲れたので休むのだろうと思った。京都に行くと決めてから、竜軌はなぜか本を数冊取り寄せ、ものすごい勢いで読破しながら同時にパソコンでも何事か検索しているようだった。
だが竜軌はパソコンを閉じはしなかった。
ただ遮光グラスの上から眉間を揉み解し、浴衣の上にミリタリージャケットを引っ掛けていた胡坐の状態から右膝を立て、更に左腕をぐるぐると肩から回した。
「りゅうき?」
「ちょっと良さげだったから聴いてたら荒太の奴、いつまでやってんだ、卒論はどうした仕事はどうした。床仕事に夢中か、阿呆が。また真白が良い声で鳴きやがるものだから俺まで鼻血が出そうになる。美羽、ティッシュを取ってくれ」
床の間には美羽が切った菊を蘭が活けた黒い焼き締めの壺が置かれている。ひっそりした黒色と焼き締めの地肌の素朴さが華美な菊花の繚乱を引き立て、蘭の目と華道の腕の確かさを物語っている。
美羽はティッシュの箱を取ってあげようとはせず、雪国の根雪のごとく凍てついた双眸から発する光で竜軌を貫いた。
〝半分くらい血い抜いてええ。真白さんちに盗聴器仕掛けてんのかコラ〟
「もちろん、美羽の声に勝るとは言ってないぞ。エロさで言うとそうだな、陰と陽と言うか、――――…莫迦言え、盗聴器なんぞ仕掛けてないぞ。おい、マジで鼻血が、」
美羽は内心、妄想で鼻血を吹くのかこのド助兵衛が、と思いながらティッシュの箱を竜軌に渡してやる。竜軌は一枚取ると鼻の下を押さえた。呆れて睨むのにも疲れた美羽は、話題を転じた。
〝どうして最近、伊達政宗のことを調べてるの?〟
「俺はよく知らん奴だしな。俺を敵視して来る奴のことを知っておいて損はない。いや、知っておかねば危うかろうと思ってな」
〝独眼竜に似た人ににらまれてるの?〟
「一方的になあ。困ったことだ」
〝伊達政宗ってどんな人?〟
美羽は興味を引かれ、竜軌の組まれた左足にもたれてメモ帳を出した。竜軌の講義を聴くのは好きだ。竜軌は美羽の髪を左手で梳きながら語り出した。
「一言では言いにくい。…若い苦労人だな。激情を秘めるが大抵の場合において思考は冷静。苦渋の決断を下したあとの動きが早い。人は隻眼隻眼、とあいつを囃し立てるが、骨肉相食む戦国乱世、しかも猛将の治める国々に囲まれた領地に大名の後継として生まれ、片目を失うということは絶望的なハンディキャップだ。それが、心折れず大成しおった。政宗を教え導いた名僧などの師に恵まれたこともあるが、奴自身がまず克己心の塊のような男だったのであろう。加えて、片倉を始めとした優れた将兵もいた。後半生、世界まで視野に入れるあたり、まあ、遅れて来た英雄と呼ばれるのも無理からぬ、とこの俺でも認めてやるところだ。ざっとそんなところか。飽くまで書籍やネットで得られる情報を元にした俺なりの感想だがな」
〝早く生まれてたら天下人だった?〟
「何度も言うが歴史や過去にイフ、は不毛だ。そこを押して考えるなら可能性はあった。俺はそう見る。だがな、美羽。可能性のあった奴なんざ他にもごろごろしてるし、天下というのは白兎みたいに逃げ足の速い生き物なんだ。複雑に絡まり合った諸条件を何とか満たし得た人間のみが、この白兎を捕まえることが出来る。だがそのころにはへとへとで、死期も目前、というのが大方のオチなんだよ」
〝信長、秀吉、家康〟
「ああ、死ぬほど頑張ってジャンボ宝くじに当たった連中だ」
〝私ね、竜軌は信長に似てると思う〟
「……そうか?」
〝竜軌のほうが一万倍好きだけど。大好きな人の一位から十位、竜軌が占めてるから〟
「そうか」
竜軌は笑って左足に乗った美羽の頬を手の甲で撫でる。
〝信長って、あんまり好きじゃないけど可哀そう〟
「うーん。そうか」
〝乱暴な人殺しだったかもしれないけど、裏切られて殺されちゃった〟
「意外と本人は止む無しとか思ってるかもな」
〝信長の生まれ変わりに会ったら、私、ケンカしちゃいそうな気もするの。自分にも似てるように感じるところあるから。同族嫌悪?〟
「…うーん。そうか」
〝でも竜軌とも最初はケンカしたから、信長とも仲良くなれるかもね〟
「そうだと良いと、俺も思うよ」
美羽を見つめる竜軌の目は、山の稜線、山巓を溶かし崩して落ちなんとする夕陽の玉のように優しい熱で燃えていた。




