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時計と父

時計と父


「俺の腕時計を齧るのはやめなさい、美羽。腹が減ったのか」

 美羽が竜軌の腕時計から顔を上げた。

〝高級ブランド?〟

「そう言うと逆に安っぽく聴こえるが値段はそれなりだ」

〝何て言うの?〟

「美術愛好家と有能な時計師が十九世紀前半に設立したパテック フィリップ。の、カラトラバだ。スイス製。うるさくない見た目が好みだった。カラトラバ自体は千九百三十二年に生まれた。名前はスペインの宗教騎士団・カラトラバ騎士団に由来する。バリエーションも時代を追って増え、俺のは5196というモデルだ」

 美羽はこうして淡々と説明する竜軌の声と顔つきが好きだ。大学講師のようでいて、美羽の為だけに知識を語ってくれる。

 茶色の牛革、カーフであろうベルトに装着された金の縁の丸いフェイスは文字盤もシンプルで、総じて穏やかな印象を見る者に与える。美羽は好きだが、竜軌はもっと凝ったデザインで大振り、硬質な物を好む気がしたので、ずっと意外に思っていたのだ。竜軌が黙っていれば、百万を超える値段だったとは美羽は夢にも思わず終わるだろう。

〝荒太さんは?〟

「荒太のはオメガのシーマスター。泳いでもつけられるダイバーズウォッチだ。ビジュアルと実用の両方重視。あいつらしい」

〝高いの?〟

「俺のほどじゃないけどな」

〝竜軌の時計、おじいちゃんがつけてそうな感じなのに。そんなに高いの?〟

「まあな」

 竜軌は笑いを含んだ声で答える。

〝剣護さんのは?〟

「そこまでは知らん。江藤のはロンジンのアンティークだとか聞いたが」

〝魯迅のアンティークってどんなの?〟

「魯迅じゃないぞ。…よく漢字を書けたな。そうだな。美意識を重んじる奴の嗜好だと俺は思うが」

(美意識)

 怜の風貌を思い浮かべると、その言葉はすんなり当てはまる。静かに美しい物を好みそうだし、似合いそうだ。

「荒太はその内、真白にカルティエのベニュワールを買ってやるべく積立貯金をしてる。真白には内緒だぞ」

〝わかった。高いのね〟

「七十万を切るくらいだったかな」

 美羽の目がこぼれ落ちそうに見開かれた。面白い、と竜軌は思う。

〝ダイヤモンドでもついてるの!?〟

「ついてなかった。と思う。だが時計全体がいかにも優雅で気品がある。真白の手首を飾るのならバランスは取れる。欲しいか?あと数年経てば美羽でもつけこなせると思うぞ」

 美羽は力一杯、頭を左右に振り回した。

 恐ろしい申し出を平然としないで欲しい。美羽は外出する時、ディズニーの絵柄のついた腕時計を嵌める。はるか昔、両親に誕生日プレゼントに貰った物だ。竜軌はその時計について何も尋ねない。子供っぽいと莫迦にしたりもしない。注目もあげつらいもせず、美羽の傷をするりと迂回する。

〝どうせなら仮面ライダーがしてるような時計が欲しい!!〟

「却下だ」

〝どうしてよ〟

 美羽が膨れっ面になる。後ろから抱き締めたまま竜軌が、その頬をつんつんつつく。

「気が乗らん」

〝竜軌のケチ!〟

「…どうしてお前はザリガニやウーパールーパーや仮面ライダーやらに向かう。小学生男子か。仮面ライダーがしてるような腕時計をつけて、戦いたい敵でもいるのか」

〝竜軌の敵〟

「当面いないから要らん心配をするな」

〝でも絶対、その内、わらわら湧いて出ると思う!〟

「不吉な予言の根拠を聴こう」

〝敵を作る性格だもの〟

「………」

 正鵠を得ているだけに反論が難しい。そして美羽はまた百六十三万したカラトラバの革ベルトを栗鼠のように齧り始めた。

「こら、やめなさい」

〝ならちゅーして〟

 澄んだ瞳でねだる。

「……」

(子供か)

 思いながらも竜軌は従順にまだ紅の残る美羽の唇をついばんだ。いつでも甘いのは事実なのだ。美羽の唇と同じく、美羽に対して。

 亡き父を求める心が美羽のどこかにまだあるのかもしれない。

 そう感じることはある。切り捨て難い肉親の情は亡霊のように。

(義龍のように)

 奪い、苛まれても尚、残る思慕の欠片が。

 感知すれば竜軌を遣る瀬無くさせる。

 自分は美羽を庇護し擁護し守護もするが、所詮、父親にはなれない。男として彼女を見ることしか出来ない。美羽は娘ではなく竜軌にとってどこまでも一人の女だ。

 孝彰では美羽の父たり得ないだろうことがまた、竜軌の気を重くさせた。



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