世界樹
世界樹
竜軌はその日、美羽のひっつき虫になった。
旅費の工面はついたと言って何をするでもなく、美羽を抱えて離さない。胡蝶の間は暖房で暖められていたが、竜軌はそれ以上に体温で美羽を包み込みたいようだった。
簾を上げ、蘇芳のテーブルの横で障子戸のガラスの外を眺める体勢で藺草に腰を据える。
美羽は雨天ののちの青空を見はるかす、大樹に添われている贅沢な気分だった。
(竜軌は大きな、大きな樹みたい)
美羽にとって竜軌という存在は「大きい」という言葉が常に随伴する。
大きな手、大きな背中、大きな獣、大きな竜、大きな樹。
小さな美羽を、その大きさの全てで愛して焦がそうとする。守ろうとする。
京都に行けば何をするかという話題を中心に竜軌はずっと美羽に話しかけた。
美羽は彼の厚意に甘えた。相手が竜軌だから甘え切ってもたれることにした。
詮方ない不安や悲しみは置いて。
〝お洋服、何、持って行こうかしら。何を着て行こうかしら〟
「皺になりにくい物にしろよ。室内で上に羽織る物は二枚以上持って行け。毛糸物な」
〝かさばりそう〟
「俺が持ってやる。着物も持って行けばどうだ。ついでだ」
〝竜軌は?〟
「俺が何だ?」
〝竜軌は着物、着ないの?〟
「…美羽が言うなら着ても良い」
〝着て。一緒に歩こう?リア充!〟
竜軌が笑いをこぼして美羽の顎の下を撫でる。
「見せびらかしか。良い性格だな、美羽」
〝私、竜軌に不釣り合いな子供に見られるかもしれないけど〟
「……そんなことを言うな。美羽」
竜軌の声が沈んだ。しまった、と美羽が思うと同時にふわりと抱き上げられた。左足に体重をかけてもだいぶ平気になったらしい。目立って庇う様子ももう見せない。
鏡台の前に運ばれた。
美羽はほとんど使わない、桜皮の樺細工。桜皮の樺細工は小物でも値が張る。鏡台に仕立てるとなるとどれだけの金額になるのか、美羽には見当もつかない。そして鏡の前に掛けられた赤い布に舞う金色の蝶。これを私物化することには未だに罪悪を覚え躊躇ってしまう。
自分が昔、「きちょう」と呼ばれたことから、こうした金糸の蝶が施された布であったり花と遊ぶ蝶が描かれた襖などが部屋にあるのだ。胡蝶の間、と呼ばれる部屋に、そうした設えをわざわざ企画したのかもしれない。この部屋に初めて足を踏み入れた時、藺草の清々しい香りが強かったことを思い出す。今でもまだ青く香るほどだ。
竜軌は、美羽を迎え入れる為に万全を尽くしていた。子供じみた反発をしたことを今更だが後悔する。
赤い布が竜軌の手で後ろに払われ、鏡面が現れる。
おどおどした顔の自分がそこにいた。気弱な癖に性格のきつそうな面立ちの少女。
(見たくないわ)
背けようとした顔は竜軌の両手で挟まれ柔らかく留め置かれた。
「口を開いて、じっとしてろ」
声の真剣さに従った美羽の下唇を、竜軌の右手薬指が左から右へとなぞる。やや粘着性のあるものが、溶けて滑る感触。
上唇にも。竜軌の指が這い動くのに背筋が少しぞくぞくした。
美羽は咄嗟に目を瞑っていたが、竜軌に紅を注されたと下唇の時点で気付いていた。
「本当は、逢ってすぐに渡したかったんだが」
目を開けて竜軌を振り返ると蛤の中の紅を見せられ、双眸を細めてそう言われた。
「何度も言うが。美羽。お前は美しい。不釣り合いを心配するのは俺のほうだ」
そんな筈ない、と美羽は唇を噛みそうになった。美しい竜が気後れすることなど。
「鏡を見てごらん」
恐る恐る、また鏡面と対峙する。
「――――…」
赤い紅を注した少女の顔は、さっきよりも収まりが良かった。勝ち気な顔立ちが幾分、様になって見える。深窓の姫君のように。
「お前は化粧が映える顔立ちだからな」
鏡の中で、自信ありげに竜軌が笑う。
(竜軌は、私の世界樹だわ)




