幸せ者
幸せ者
朝食の膳を下げに来た蘭は、ふと形の良い眉をひそめた。
一々が絵になる忠義の臣の美貌だが、竜軌はもう見慣れてしまった。
「美羽様。食が進まれませんか」
出された料理は完食するのが常である美羽の皿に、今朝は残された物が多い。
「残ったぶんは俺が喰う。置いておけ、蘭」
「はい」
蘭の問いに陰のある微笑を見せただけの美羽を庇うように口を出した竜軌に、蘭は余計な詮索をせず首肯した。人が生きていれば色々ある。食欲の無い朝を迎える日も。
「お前の婚約者どのはいつ紹介してくれるんだ?」
竜軌が口角の片方を釣り上げて逆に蘭に尋ねて来た。
「聖良さんですか?聴いておいででしたか」
「ああ、悪い」
「いえ」
蘭が照れ臭そうに笑う。含むものがない純粋な喜びからの笑いであるだけに、それは一層、花がこぼれるようだった。美羽もつい目を奪われた。
「お二方さえよろしければ京都に行かれる前に、いつでもご紹介致します」
「奥方を持つ身とあっては、もうお前をこき使うことも出来んくなるな」
竜軌がにやにやと言った。
「さ、それは。上様にお仕えするは私の務めでございますので」
「鬼小路嬢は納得すまいよ。今時の娘だからな。…海岸デートは?」
蘭が首を横に振る。
「拘らぬことと致しました。あえて砕巖を見せる必要もないかと。聖良さんが聖良さんであれば、それで。愛情を傾けるのに条件を大事に掲げるのは愚かと知った気がします。私はまだ無知も未熟も甚だしい」
苦く笑う忠臣を見る竜軌の黒い目が、穏やかに笑んだ。
「お前の謙虚は己がまなこを澄ませるらしい。俺はお前を含めた周りの人間に恵まれている。彼女との挙式にあたり望みがあれば言え。祝儀として叶えてやる」
「――――――…お言葉、胸に。しかと刻みまする」
「美羽。蘭が結婚相手を決めた。見合いがまとまったんだ。めでたいな。こいつも年貢の納め時だぞ」
竜軌が優しくおどけるような口調で、左半身にもたれる美羽に話しかける。美羽はその姿勢のままメモ帳にペンを走らせた。
〝結婚するの、蘭〟
竜軌の手が美羽の髪にじゃれついて来る。匂いを嗅いだり手の中で弄んだり。
「はい、美羽様。相手の女性と会ってくださいますか」
〝私で良いの?〟
「お願い申し上げます。寂しく生きて来た人のようです。叶いますなら友人として付き合ってあげてください」
〝うん。その人、幸せ者だわ〟
蘭のてらいのない笑顔を見て、美羽は心からそう思った。
「―――美羽。お前とどっちが?」
透き通った夜空が迫る。
「…りゅうき、」
「どっちが?」
美羽は唇を塞がれてどちらとも意思表示出来なかった。
朝食を残したぶん、竜の熱い吐息を食べる。
ごくり、と喉を鳴らして唾液と共に嚥下した。
それでも竜軌は要塞のように退こうとせず、美羽の胸に燈火が灯り気が遠くなっても食べさせられ続けた。




