バロックパール
バロックパール
「マナ。あたし、一芯と京都に行くの」
『日帰りデート?』
「ううん、多分、泊まりになる」
携帯に向かって、努めてさりげない口調で薫子は切り出した。マナであれば無闇に囃し立てることなどなく、事実を軽い相槌で受け止めてくれる。薫子にはそれが有り難い。
『そう。避妊はちゃんとなさいね』
クール過ぎてこちらが息を詰めるような爆弾も投げて来るが。
「そんなことしないわよっ」
思わず大声を出した。すると謂れの無いお説教を貰ってしまった。
『ダメよ。そこはちゃんとしなさい。だらしなくするとあとで後悔するわよ』
「ち、が、う!!だらしなくも後悔するようなこともしないっつってんの!別々におやすみなさいするって言ってるの。マナ、飛躍しないでよ」
最後の一言を言うに至っては、薫子は眉尻を情けなく下げていた。
『そうなの』
クールだ。
「そうなの!」
『佐原君はそれで良いって?』
薫子は再び息を詰めた。
〝僕は君に触れたこともないけれどそれが本意だと思ってもらったら困るよ〟
〝おっかない?大人の男女の、秘め事の記憶に触れそうで〟
「…わからない」
今度はマナは間を置いた。思い遣りのある間だった。
『そう』
携帯の向こうに、慈愛深い表情をした親友を見るようだった。
見下すでもなく、「まだ踏み出せないのね」と微苦笑するような。
それから京都土産と言えば何か、という話題に変わり、マナと盛り上がってから、薫子は通話を終えた。話題転換はマナの気配りだと判っていた。つくづく助けられている。
〝あなたたちってバロックパールみたいね〟
一芯との付き合いの長さ、彼の隻眼は自分のせいなのだとまで薫子がマナに打ち明けた時、彼女にそう言われた。眠くなるような春の、お昼休みの教室。マナは頬杖を突いて、薫子の話を黙って聴いてから、ノンフレームの奥の静かな目を小揺るぎもさせずに唇を開いたのだ。薄い唇は艶があって、乾燥でのひび割れなど知らないのではと思わせた。
〝…歪んだ関係だって言いたいの?〟
低く、薫子は質した。
〝真円ではないと思うわ〟
マナは逃げたりはぐらかしたりしなかった。薫子も彼女の言い分を否定は出来なかった。
〝ねえ、でもね?薫子〟
あやす声と長い髪がさら、と揺れた。窓際の席、開いた窓から舞い込んで来た桜のひとひらがその前をよぎり、春の夢のようだった。
〝それって、普通よ。真円の関係なんて、世界のどこを探したって、ない〟
天使とかユニコーンを見つけようとするのとおんなじ、とマナは続けた。
〝薫子と佐原君だけじゃないの。多かれ少なかれ、人と人の繋がりは、歪を抱えたバロックパールなのよ〟
前生の記憶など持たなくても、世の真実を知る者はいる。少女の姿をしていても。
薫子はあの時、そう思った。
マナの言葉に救われたとも感じた。
歪の中にもきっと真はある。




