ラブソング
ラブソング
「朧月か。空気に湿り気もある。良い晩だ。美羽、風邪をひくなよ」
胡蝶の間の暖房を切り、庭に続くガラス戸を開けて竜軌が、夜空を背景に胡坐をかいた。
いつもの浴衣姿に、暗色のストールを肩にかけている。美羽は竜軌から一畳ほどのところに正座していた。浴衣の上には丹前とロングカーディガン。それでもひやりとする。
濃紺の空に佇む月はぼや、と潤んで周りに淡い雲を靡かせていた。
月光はやわやわとしている。空気にほんのり水の匂いがする。美羽は鼻をひくつかせた。天気が崩れるのかもしれない。
竜軌の手にある全体的に茶色く見える笛は、派手な飾りや意匠も無いのに重厚感を感じさせた。竜軌が丁重にそれを扱うからだろうか。
「…そうだな。月夜だし。まずはこれにしようか」
竜軌が唇を吹口に当て、長い五指を動かした。
独特の物憂い旋律。美羽も知っている。
『荒城の月』だ。音が空気に含まれた水を泳ぎ抜くように流れ出る。
滔々として。
哀愁が初冬の夜気に満ちた。
過ぎし日を思わせる月の調べ。
曲が終わるとしみじみとした余韻が美羽の胸にあった。
「次はベタだが、『蘭陵王』だ。少し長い。さて、吹き通せるかな」
――――――――竜の鳴き声。雲を貫き飛翔する。
美羽は音に打たれて瞠目した。
先程までの柔らかさが消えた。空気が鋭く鮮烈になった。
横笛と言えば優しい音色を想像しがちで、世間にもそのイメージが先行している。
だが違うのだ。
現実の竜笛は鋭い剣先のようだった。
竜軌は『荒城の月』ではあえて穏やかに、穏やかに、吹いてみせたのだ。いきなり美羽を驚かせたりしないように。
『蘭陵王』は単調で古風なメロディーが続き、二回ほど、主の音が変化したように感じた。
少しずつ、変化する。微細に様々に動き光を散らすステンドグラスのよう。荘厳な中にも脈打つ強い命、小さな命を包括している。
竜が啼き渡っていた。
剣先には思慕が乗せられ美羽に差し出されている。
これは竜軌のラブソングだ。竜笛によるラブソング。
狂おしい旋律で愛を伝えている。
美羽は喉元に愛を突きつけられ、尚且つ、音の膜に包まれていた。
(竜軌)
高音が鳴り響き、『蘭陵王』は奏し終えられた。
美羽は放心していた。




