銀のネックレス
銀のネックレス
その日の佐野雪人は鬼小路聖良の目から見て変だった。
ビルのガラス張りになった最上階は暖かく、初冬にも関わらず樹木が配置され憩いの場となっている。噴水の近くには軽食を提供する若者向けの店があり、蘭と聖良はサンドウィッチやスコーンなどを、水音を聴きながら店側の演出であるパラソルの下の木のテーブルに着いてつまんでいた。
蘭は相変わらず派手な美貌に意外なほどの細かい気配りを見せ、聖良に優しく接してくれる。だが時折、彼の瞳は聖良から苦しげに逸らされる。
何か失敗を仕出かしただろうか。
聖良は思い悩んだ。ここまで来て嫌われて、「今回はご縁が無かったということで」ともなれば男と恋愛に絶望し、聖良のこの先の人生は真っ暗だ。
藍染めワンピースの首回りが広過ぎただろうか。ナチュラル感がある素材なら、このくらいの露出はセーフだと思ったのだが。ネックレスも銀の、華奢な物を選んだ。それとも、黒いレース状になったタイツが、攻め過ぎだっただろうか。黒のショートブーツが、硬い印象で抑えるには力不足だったか。
飲んでいる紅茶の味が解らない。茶葉も何だったか忘れた。
(嫌わないで、雪人さん)
聖良の胸にあるのはその願いのみだった。
「…ネックレスが、綺麗ですね」
蘭は本当は、鎖骨が綺麗だと言いたかったが、それは女性に対して不躾だと考えた。
「あ、ありがとうございます。父が、外国土産に買って来てくれまして。大事にしてるんです」
「そうですか」
やはり天使ですか、と蘭は心の中で付け加えた。
なのに胸がもやもやして、聖良といると嬉しいのに落ち着かず、意味が解らない。タイツの黒いレースは辛うじて小悪魔だが、その主張はいかにも控えめだ。もっとばばん!と全開にすれば良いのに。
(小悪魔でなくとも、私は懸想するのか)
そう思っていた時、隣のパラソルの下のテーブルに座ろうとしていた女性、二人連れの内、一人が氷の入ったアイスティーと思しき飲み物を引っくり返した。ワックスで磨かれた床に飛び散る茶色い液体は、それを持っていた女性本人の衣服にも降りかかった。
蘭は考えるより先に身体が動き、持っていたハンカチで女性の衣服の汚れを失礼にならない程度に拭き取ると、店員を呼んで床の惨状を詫び、片付けてくれるように頼んだ。
突然に現れた、どこまでも紳士的な美貌の男性を、災難に遭った女性は救世主のような眼差しで見つめ、赤面し、お礼を言い、ハンカチを洗って返すので連絡先を教えてくれと頼んだ。蘭はハンカチの返却を丁重に断り、聖良の待つ席に戻って来た。
「すみません、聖良さん」
聖良は蘭を、マネキンのような顔で出迎えた。
「…雪人さんは、お優しいですものね」
「いえ、」
「でもあたしそんな男はやだ」
「―――――は?」
「あたしといる時、他の女を見るとか。マジで有り得ない」
「…聖良さん?」
「自然素材なんて無理して着てるし、雪人さんに逢う前の恋愛遍歴なんかすげーし、きっと知ったら引かれるし、金の亡者な親父なんか虫みたいに思ってる。ネックレスは母親のを借りたけど母親のことだってあんまり好きじゃない」
「………」
「ほんとはこんなんなの、あたし。情緒不安定だし、男は振り回す。そんな女なの、雪人さん。―――――――今まで騙しててごめんなさい。…、…さようなら」
聖良の人生で、これほど辛い気持ちで男に別れを告げたことはなかった。
胸が引き裂かれて死ぬかもしれないと本気で感じていた。




