リトマス試験紙
リトマス試験紙
土曜日。
今日も今日とて力丸は、惣菜屋のコンパクトな長椅子に寝そべってごろーりごろーりとしていた。お腹が空けばコロッケを揚げてもらう。ぶつぶつ文句を言いながらも佳世がお茶を淹れて来てくれる。彼には快適空間だった。
(…清流が、思うように使えん)
右手を顔の上に掲げてにぎにぎと動かす。結界内で兄の坊丸にリハビリ兼鍛錬の相手をしてもらっているのだが、話にならない。片目を失うことは想像した以上の痛手と知った。どんな名投手でも隻眼になれば戦力外通告されるのだ。ピッチングコントロールも何もあったものではない。キャッチボール程度ならともかく、一線級の試合で先発を任されるなど夢のまた夢。
〝背負ったハンデを楽観視しないほうが良い〟
一芯の言うことは尤もだった。
〝次は死ぬよ〟
それは実現して欲しくない。
(―――――――京都かあ)
懐かしい土地だ。中学生のころに修学旅行でも行ったが、それ以前の記憶として。
前生における死地。蘭と坊丸と力丸は主君らを守り果てた。
森家には他にも多く兄弟がいたが、今生、力丸たち三人が特に竜軌の傍に引き寄せられるように新庄邸に身を置く流れとなったのも、前生の最期での縁ゆえかもしれない。
「りっきーっていつもそんな感じなの?」
呆れを越して感心したような声に目を向けると、一芯が惣菜屋の入口に立っていた。自動ドアの開く音は聴こえたが無視していたのだ。
「おう、ぼんちゃん。ここはチーズコロッケが一押しだぞ」
特に驚くでもなく力丸がのんびりと言う。
「へえ。すいません、チーズコロッケ二つください」
「はい、ちょっとお時間かかりますが」
「大丈夫です、お願いします」
店主である佳世の父と遣り取りして、一芯は長椅子に仰臥したままの力丸を見た。
そんな一芯を、美しい立ち姿だと力丸は感じた。
力みも隙もなく、淀みなく流れる水に住まう竜のような。
(同じ隻眼でも今の俺では歯牙にもかけられまいな)
「ぼんちゃん、機嫌が良いか?」
「うん。判る?」
「何があった」
「南ちゃんと」
力丸がば、と身を起こす。
「幼馴染愛らしガールと!?」
「進展が」
「一夜を共にっ」
「一足飛びだね。そこまではいってない。ハグと、ちょっとね」
「甘酸っぱい!」
「いーでしょ~」
へらへらと一芯が自慢しながら笑う。
「フィギュアといい。羨ましいぞ、ぼんちゃん」
「うん」
首肯しながら一芯はレジからこちらを窺う佳世をちらと見る。表情、雰囲気、恋する乙女だ。その対象者は「いいなあいいなあ」と長椅子の上で子供のように身をよじっている鈍感男だろう。
「りっきー。道に咲く野の花も可憐だよ」
ついつい口を出してしまう。
「野の花のカレンダー?俺の好みではないぞ」
「あははは、ほんとに莫迦だなあ」
「あ、俺は何にも喋らないぞ、ぼんちゃん!」
「え、何の話?」
「だからその内容を喋らないと言っているのだ」
力丸は兄たちから、一芯に情報の一切を洩らすなと固く口止めされていた。しかしそこはそれ、莫迦正直な力丸であった。
「…信長公が動くんだ?」
「動かん、動かん、どこにも行かん」
「どっか行くんだ。沖縄旅行かな、寒くなったし」
「上様はそんなやわなお方ではない」
「じゃあ、逆に北海道とか。厳寒だねえ」
「ないない」
「ふうん。どうせ公が動くなら濃姫絡みだろう。とすれば、そうだな。―――――――――――――近畿。京都とか」
「絶対に違うぞ、それは」
「そっかー」




