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だから

だから


 昨夜のガラスが割れる音は何だったのだろう。

 佐原家から聴こえた。薫子の両親も気にしていた。だが確実な情報源となるであろう一芯と、薫子は口を利いていない。電話もメールも無視して朝、彼が迎えに来るよりも早く家を出た。


〝大嫌いだしお嫁さんにもならない〟


 一芯が自分の命を軽んじる言動が腹立たしくて悔しくて。

 悲しくて寂しかった。

 口から出た台詞は土に染み込んだ水のように取り返せない。「嫌い」の逆の作用をもたらす言葉を、今まで一芯に言ったこともなかった。言わないでも知っているだろうと思った。薫子が一芯から寄せられる好意を感じているように。

「薫子。佐原君どうしたの?」

 三限目が終わって芦原(あしはら)マナが尋ねて来た。薫子と一芯は鴛鴦夫婦のように同級生たちから目されている。〝幼馴染カップル〟だと。しかしクールビューティーのマナは茶化してからかうのではなく、自然に薫子たちを案じる口調だった。俗っぽいスキャンダルなどには一ミリの価値も見出さないのが彼女で、薫子はそんなマナを好ましく思っていた。

「…どうって」

 別々に登校したことを指しての疑問符だろうと察しつつ、答え辛くてくぐもる声を薫子は出した。

「頭痛で保健室に行ったって」

 マナは薫子の態度を取り立てて気にするでもなく、細い銀フレームの奥の目も静かに、さらりと告げた。長い髪はさらりとも揺れない。彼女はおおよその事柄に動じない。

 どうせ仮病に決まってる、と薫子は確信した。優等生と見なされ教師から信用されているのを好いことに。薫子に対して拗ねているのだ。冷静ぶって、子供みたいな一面はそれこそ子供のころから変わらない。

「あ、」

 マナの上げた声に、彼女の視線を追うと、教室の入り口に一芯が立って手招きしていた。


「―――――…」


 やっぱり仮病だった。良かった。


 公衆の面前で無視する訳にもゆかず、薫子は席を立ち一芯に向かい歩いた。スカートの裾からジャージははみ出していないだろうか。

「薫子」

 下手に出る声だ。プライドの高い一芯が、薫子の機嫌を損ねた時だけに聴かせる、殊勝に改まった声。装いではない本物。

「何?」

 対して、薫子の声は硬かった。

「今日、お師匠さんのお宅に行く」

 薫子の表情が動いた。


「『さんさ時雨』の稽古をつけてもらう。薫子も一緒に来ない?」


 一芯は幼馴染の怒りを取り成すのに最適な申し出をした。



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